私のボランティアNO99  広瀬寿武
(自然体の中にあるボランティア)

2009年度の事業整理に時間が掛かったのか、今年5月、忘れた頃にブラインド協会から呼び出しがあり、又々、仰々しい面子が揃っている前での表彰儀式?
メダルを首に下げ、握手攻め。
ブラインドの人々をサポートし、その態度、業績?が優秀なボランティアに
授与する、名前が刻まれたメダルだそうだ。
私はブラインドのボランティアに参加して6年、この間に4回の受賞、貰う度にデザインの違ったメダルは4個になった。
「トシ、4回も受賞した人は初めてだよ」と言われ、「どうして俺なのか?」
尋ねてみた。
「トシのサポートは全く自然体、気持ちがみなぎっている。側で見ている人や、
ブラインドの人達が気持ちの通じ合う安心と優しさを感じ、選考者が一致してトシを推薦した。トシのサポートを願っている」
そう言われても、私にはボランティアをする多くの人は同じではないかと思うのだが?

任されたブラインドの人をサポートする時の私は、周りの事より、彼に集中し、なけなしの能力を総動員し、気力と気遣い、時々ぽかをやり、誤りながら、
時々腹を立て、文句を言いながら、共に喜び、共に慰め、共にはしゃぐ。
自然体と。
言われてみれば、人から見れば、ボランティアをしている私の姿、状況から、ちょっと掛け離れた人と人の気持ちの交流に見えるのかも。
事実、ボランティアをしていると意識していることは全くない。
一日無事に、一緒に楽しむ。苛立ちも、嬉しさも全て一緒。
そして、もう一つ。気持ちがみなぎっている(a flood of life)みなぎる生気。
私には微細な意味合いの言葉(英語)を理解する事は出来ないが、その事を気にしてはいなし恥ずかしいとも思わない。日本人の私が英語育ちの人に優るわけがない。言葉が完璧に分からなくて当たり前だから。
でも、人間同士、気持ちが通じれば喧嘩も出来る。みなぎる心が生気を生み出すのかも。彼等は英語で心を伝え、私は日本語文化で心を伝える。

「又来週ね」
「ああ、一日のボランティアが終わった」と言葉上のボランティア。
こんな私のボランティアが人々の役に立っている、この事がメダルなのか。



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