私のボランティアNO94   広瀬寿武
(長い休暇の結果、その2)

ボランティアの種類、関わる団体、人々は色々あり、夫々に意義ある活動をしている。
私のボランティアは私風(ふう)、即ち私の能力、気力の範囲内でしか出来ないのだから、ボランティアをやっていますなんて言った所で、風に吹かれて生じる潮の流れのようなもので、その日の風次第の所があり、自分でも「しょうがないな」と意識している。
そんな私の気侭さを盲目のMは感じていたのだろうか、私が私を通してしまったのを、Mが「仕方がない」と妥協したのか、そんな感じで5年以上の歳月が過ぎていた。

私が居ないと毎週(週1回)楽しみにしているゴルフが出来ないと彼に申し訳ないと自意識をもって、出掛けていた。
「目が見えないのに、どうしてゴルフが楽しいのか?」
勝手な私流の疑問は、疑問のまま残っているのに、深くも考えない中での長い年月。
長い私の休暇(主として息子の結婚と95歳の母の見舞い)に浮かれた私と裏腹に、Mの心境は、複雑だったのだろうが、気侭さで、思いやる優しさを欠いていた。
ブラインドゴルフ、オーストラリアオープン等も控え、Mなりの気の入れようもあった。

ブラインドのゴルフはキャディとプレーヤーの一体的な要素が重要。
全く他人のM(或いは盲人たち)と一体感を持つのは私の能力的思考と経験では、到底、無理な事だと思いながらの日々。
だが、何となく気持ちが通じ、何となく楽しく、何となくスコアを良くしよう、何となく文句を言い、何となく慰め、何となく夢中になる。
だから、Mのキャディが何となく長年続いた様な気がする。
盲人の頭の中で「赤い」色はどの様に映っているのだろうかと、全く単純で馬鹿げた疑問だが、この単純で馬鹿げた疑問が、何となく疑問でなくなる。
「何となく」
Mと私にとって一番重要な心の繋がりは「何となく」

長い休暇(前後遭わせて7週間)中、Mをサポートしたキャディは数人、彼等は能力気力とも私に勝る人々。
とは言え、何となく気楽に理解し合うなんて、5週や10週で、出来るはずが無い。
私もMとの2年の経験が過ぎた時も、まだ五里霧中。
その間、私の能天気な馬鹿さがMに浸透していったのだろうと思っている。
私の留守中サポートしてくれた人達と、この「何となく」の部分でMは心を自分的に痛めたらしい。
双方に責任の有る事ではない。夫婦ですら「何となく」が難しいのだから。

正月が過ぎ、Mの頭、心境に甘さが戻ったかなと思って訪ねた。
「トシ、今年はゴルフをしない。長い間有難う」
「そうか、分かった。その気になったら連絡をくれ」
多くを話す必要を感じない時間だった。
帰るドライブ中、何を考えれば良いか、思考と思考の間に、つながりの無い思いが、泡となって消えては浮かぶ。

何かが終わったような、悲しい思いだけではないが。
夢中になった私のボランティアの欠片。


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