私のボランティア  NO9 広瀬寿武   広瀬 寿武

 CFではX’mas partyを兼ねボランティアの慰労と表彰が行なわれ,
Health Ministerから思わぬ表彰を受け,飾りを胸に付けられた時
の感動が今も続いている.
握手をし会話の中で「国は?」「日本人」表彰する大臣は私の国籍すら知らない.
私はなかなか日本人であると言う感覚は抜け切れないが,ボランティアに国籍は何
の意味も持たない.奉仕する人,受ける人の関係は人の心と心の触れ合いそのもの.
Borderlessの時代遅れにならない様に感覚を磨く必要を感じる.
Afganの地でのボランティア援助が求められ,国際社会はそれに対応する為の
活動を始めた.私も出来る事はないかとNGOの事務所に顔を出したが,体力年齢
的な面で直接的な活動は出来ないが,後方活動の手助けでもと思っている.
アフガニスタン人,モスリム,日本人,等々と枠を填めず,NGOの人が言う地球
上に住む人類の為に,私の出来る事は何か,ボランティアの基本を日々教えられる
事が多い.
 私のボランティアは一月二日から始まった.三十一日のイブは人が集まり酒の酔
いを楽しんだが,元旦は最早酔い潰れている訳にはいかない.清く正しい一日だけ
の正月.
二日,O’C九時,既に二十人程のメンバ−が何も変わらず「腹空いた」と待って
いる.責任者のMは私に任せての休暇,女性ソ−シャルワ−カ−と私.
昼までに五十人を越す.昼食は元旦に必死で妻から習った「焼き飯」五十人分一遍
に作るのだから自分でも想像がつかない.人参とハムは妻が早朝から刻みパック詰
めにしてくれたが,後の仕事は私がセンタ−で.女性助手は当てにならない.
なにしろ,玉葱を刻む包丁捌きを見ても,料理の段取りを教えても自分でやった方
が早い.十二時の食事に間に合わない.持参した炊飯器と三つの釜に米をセット.
妻の書いたノ−トと首っ引きで,何度にも分けて具を炒め,味付け.
どでっかい中華鍋で四回,炊けたご飯と混ぜる.作業中は必死で作る事以外に頭が
働かなったが,VDに撮って妻に見せたら家で「料理の料もしたことがない」私を
見直しただろうに.
味をチェックした訳でもないのに,結構いける!うまい!心配しているだろう妻に
食わせたい,と,思ったが,全部無くなり「トシ,ビュウティフル」「サンキュウ」
「イチバン」
物凄いプレッシャ−と息詰まる強行に疲れ果てていたものが,一瞬にして消えた.
「よかった!」「やった!」
食後,二十人程連れて,シティ−ビ−チで水遊び.
三時半,帰宅.「どうだった?上手く出来た?」「出来た,出来た.お陰さまで!
お有り難うございます」正月早々,深々と妻に頭を下げる.
「今年は妻に頭が上がらない年になりそうだ」
「でも良いじゃないか,皆喜んだんだから」と自分を納得させて正月二日が終わる.

正月三日.CF.
朝八時十五分.医者のアポが八時五十分の二人を乗せRPHへ.
「Happy New Year」はしゃぎを押さえ体調を気遣いながら声を掛ける.
「トシ,新年はどうして過ごした?」「家で静かに,日本風の食事を楽しんだ」
ロッジでガンの痛みを耐え,家族とも逢えない人が多い.それを思うと会話を選ぶのも
ボランティアの勤め.
昨夜,チャイニ−ズの友人からのゴルフの誘いを断ると「正月くらい休めよ」と.
だが病気に正月は無い.
三軒の病院を行っては帰り,帰っては行き,無事に無事に,何事もなくと祈り,十二人.
何処の病院でも同じ様にボランティアドライバ−が淡々と出入りする.
「ハ−イ,元気か」「今日は忙しいのか」「俺は四時頃まで」「俺も同じだ」
「ホリディ−は取らないのか」「そのうち」

「日本から息子が二月に戻るから休暇の申請を忘れずに!」
妻の言葉を思い出してボランティアマネ−ジャ−と相談.
二年ぶりの休暇,二月の十日から四週間.完全にボランティアから心が離れる事が
出来るだろうか.
返事は来週に持ち越し.代理の都合との兼ね合いが有る.
この段階で既に責任を感じ弱気になり,妻の顔が浮かぶ.
神よ,仏よ,お願いします.    

 正月三日,私のボランティア三年目,無事終了.
「休暇の方,大丈夫でしょうね?」「まあね」「それじゃ困るのよ,家族で旅行す
るのだから・・・ボランティアでしょう!」
 そう,その通りだが,日々,人達に接してボランティアをしている者にだけしか
理解出来ない,説明の付かないボランティア魂.どうしよう!
  
(O’Cは精神病患者mental illnessのサポ−トセンタ−)
(CFはWA政府による,Cancerのサポ−ト,サ−ビスを目的とする事業団)
 共にInc.
(PRP,ロイアル パ−ス ホスピタル)

インタ−ナショナル ボランティア ミ−ティングの招待状.
議題項目の一つにボランティアが集まらない,そして最も必要としている部門への対応.
特に医療部門,身障者,精神障害者(O’Cの様な)責任と義務が課せられる部門.
私の二年間の経験から休暇もままならない責任あるドライバ−集めに苦労する。
或いは精神障害者,身障者のサポ−ト,サ−ビスを希望する人も少ない.
ボランティアの多くは高齢者,余暇を人の為にと思うが厳しい条件は敬遠される.
心境,処事情も良く理解できる.前回,少なくても報酬を出したらとの意見が出たが,
ボランティアの精神に反すると問題にならなかった.
私はO’Cに関わっているため,重病身障者を世話する人達と一緒になる事がある.
私の仕事など比較にならないほど色々な意味で大変だ.体力も気力も要求される.
ドライバ−として遠近問わず,時には空港,銀行,買い物と.全てが無料無償奉仕.
「タクシ−で行けばいいのに」と,思う時だって有る.
いずれにしてもボランティア精神に徹しきるとは,煩悩,邪念を餌に生きている私に
は出来ないが,それでもやっている.
奉仕,ボランティアとは,私の心の中で自分の矛盾との葛藤の様な気がする.
会議で世界の人達の真の葛藤を覗くのも楽しみだ.
凡凡人以下の私だから出来る悪趣味かな.

 二月はとにかく休み,嬉しい,本当だよ.

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