私のボランティアNO88    広瀬寿武
(「おっくう」と同居)

最近「おっくう」と言う感覚が、私と同居をして、しっかり住み着いてしまった。
50代、60代と歳を追うごとに「おっくう」が私を追い駆けて来たが、70代を半ばに近くなった今では「おっくう」と仲良くなり、それを快く思っている。
私のボランティアにとっては、正に天敵の存在だ。
「気が進まない」は別にボランティアだけに限る事ではない。
何事にも「気が進まない」は付いて回る。何だろうかと考えるのも「面倒」だが、考えた所で一度仲良くなったこの感覚が「はい、さよなら」と何処かえ行ってくれる訳でもなし、気持ちの片隅でも「別離」を期待していないのが見え隠れしている。

毎週毎週、週2~3日のボランティアが、毎日在るような速さを感じているのに、この「おっくう」が私を大きく怠惰にする。
ボランティアに向かう、家を出るまで、この「おっくう」と戦う、激しい戦況を表現できない、馬鹿馬鹿しい現実がある。
この戦いに勝った訳ではないが、ボランティアの現場に着くと、戦った事なんか忘れてしまい、長い間、続けて来た体が自然にボランティアの中に融合してしまう。
だが、「こんな事でよいのか?」と真剣に考えるべきなのかもしれない。
ボランティアに携わり、続けている多くの先輩に聞いてみた。
「誰にも同じ気持ちがあるよ、結局は自分との相談だ」と、私には解決にならない。
だから、今も来週も、私のボランティアは「おっくう」の感覚と同居をしたまま、続いている。
「こんな気持ちでのボランティアでは、相手に申し訳ないのでは?」と、この思いも続いたままで。
「いっその事、辞めてしまったら!」
「なぜ、続けているの?」
簡単な「答え」が簡単に見つかるのに。
でも、「M」が待っているから。
O’Cのメンバーが「トシ、来週は?」と期待の声で待っているから。
がん患者が、老齢の、あのお爺さん、お婆さんの手の温もりは?
私のボランティアは私の中だけにあり、私の感情に何かを語りかけている。




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