私のボランティアNO85      広瀬寿武
(感謝と感謝の交差点)

オーストラリアの災害で毎年の様にBushfireがあり、その度に何らかの被害がある。
日本での台風の被害に似ているが、今回のVictoria で起きたBushfireの被害は人命も損害もオーストラリアの歴史に残る様相を呈している。
現在なお、炎と煙が消えていなく、人家に近づきつつある。
TVで見ていても脅威を覚えるのだから、そこに生活している人の恐怖は想像外だ。
既に火の海に焼き払われた広大な土地に残る、住まいの跡らしき灰の山が写し出されると、ただ、唖然とする。だが、多くを失った人々は。
表現の仕様がない。
ボランティア組織は直ぐ、活動を開始した。勿論、国を挙げてだが。
私の関わるボランティア団体も時を待たなかった。
物資はもとより募金活動。
私は或る日の2時間、或るショッピングセンターでの募金ボランティアを請け負った。
平日の午後、人出は余り期待出来なかったが、それでも協力者は期待以上。
以前にも数回、ガイドドッグ(盲導犬)の飼育、育成基金の募金活動をしていたので、要領は心得ていたが、今回はまた、違った意味での人々との出会いを感じた。
ボランティアであっても募金活動に直接携わり行動する、その本人の態度、心持が本当に重要なのだと、改めて感じる。
「建て前」「見得」「理屈」とは全く無関係。

「被害に合った人々のために、誠心誠意協力したい、と言う私自身の思いがなくては、募金をしてくれる人に申し分けない」
この気持ちが、一人一人と目が会い、通り過ぎた人が引き返して、ふと躊躇が有るような様子の人、まっすぐ募金箱を目指す人、人、人、に伝わって感謝が沸く。
募金活動の原点は感謝と感謝の交差点。そしてこの貴重な心の浄財が助けを待つ人々の励みになる。
きっと、何処かの誰かが、何処かで感謝をしているだろう。
小さな手に5セントコインを数枚、5歳位の女の子、感謝の期待は微塵も無い。
募金に協力している人々の誰もが感謝を期待してなんかいないが、人々の心の何処かで自然の感謝が繋がっているのだろう。
そして私のボランティアも人の温かみを感じて、疲れを忘れる。



ボランティア日記TOPに戻る