私のボランティアNO82   広瀬寿武
        (心の伝達)
10月20~26日まで、ここパースのCollier Park でW.A Blind Golf Open、
Nedlands Golf Club でAustralian Blind Golf Openが開催された。
今回は日本ブラインドゴルフ協会の企画協力で、この期間にプロゴルファーによる
「H」Cupが行われ、普段から大変ハードなブラインドゴルファーをサポートしている
キャディ達を慰める楽しい催しが有った。
参加プロの中には、名の通った人も多く居る。
往年の美人プロPat BRADLEY, Jenny SEVIL, Cindy RARICK
日本から、Hiromi KANEDA, Masumi INABA, Hiromichi NAMIKI
そしてあの、Peter SENIOR, Ian BAKER-FINCH, Stewart GINN,
Terry GALE , Rodger DAVIS
オーストラリア、アメリカ、日本から総勢26名の参加。
TVで顔を見た人達と3日間、共に親しく楽しんだ。
私はPeter SENIOR,とPat BRADLEYの担当になって、ゴルフコースからディナー、
プレゼンテーションと一緒に食事やワインを肴に、ゴルフ談義を聞き入った。
PeterもPatも驕りの無い、冗談も連発する気さくな気質、私との間に壁のような物を感じない。何とPeterはオージープロゴルファーの会長、だが、他のプロや関係者との会話にも、おどけた和を上手に作る。
「今年はツアーで名前が出てこなかったよ」と私の気楽な質問に「今年は体調の調整、来期は出来るだけツアーに参加する。俺のフアンになってくれよ」
70歳をとうに越した私にとって、ブラインドのサポートは決して楽な事ではない。今までも書いたが、辞めるきっかけを何度探した事か。
だが、今回のプロ達との出会いで、人生に又、新たな体験が増え「これもボランティアのお陰かな!」と来年も私のボランティアが続く様な気がする。

普段、全盲のMの手を引き(Mが私の手をがっちり掴む)もう一方の手でクラブを乗せたカートを引き、Mの目の代わりをしながらゴルフコースを歩く。ただ、歩くのではない。
Mの歩を進める先に全神経を集中し、Mの打ったはずの球を探し、その球の前にMの重い身体を誘導してスタンスを決め方向を定める。距離や球のある状態をMに伝え、クラブの選択をする。前方に何かがあったとて、その何かを想像出来ない、例えば木の枝がどのように生えてどんな形をなしているのか、全く知らないMの頭の中。見た事、経験体験の状態が脳の中にあれば、私も説明が出来るが、全く目の見えないMに私が百言、言葉にしても理解出来ているとは思わない。そんなMに私は言葉で伝える。伝わらないだろうが、話しかける。私は見えるのだから「20m先に木の枝が、出ている」と見た通りを伝える。
「どのような形かロケーションなんて分かるはずないよな」と思いながら。
Mの頭の中を想像しても、それは、到底無理な事で、当然、説明や状況は私の勝手なしゃべりにしか過ぎない。
Mを迎えに行き、ゴルフコースで真剣に打ち込み、終われば共にお茶を飲み、連れて帰る。
盲人、特に先天的盲目の人と健常者の、それも見えすぎる目を持つ私とは、共に常識的な
頭の中の想像は不可能なのだと、十分分かっているが、それでも私の勝手な言葉で伝えようとする。それが伝わるのだ。言葉の中にある心で、Mにも、私にも。
長い時間、長い年月、雨の日も、嫌な時も、楽しい時も、送り迎えの一時も、とんでもない所に打ってしまったボールを捜しながら、Mも落胆し、キャディの私も腹を立て、
「力んで打つなって言っただろう!」言葉をぶつける時も、パーを取った時の感動を共有した時も、この、この、積み重ねが、互いに想像の不可能な空間を埋めているのだろう。
それこそ、この状況を言葉の範ちゅうで表現は出来ない。Mと私にだけにしか解らない、心の伝心。
今期も4年連続で私のキャディボランティアが認められ(認められようと思ってボランティアをしたことはない)、12月、ボランティア協会から賞状とメダルが贈られるそうだ。
その為に表彰式に出席をするように連絡が来た。名誉な事だが、もしも出席が出来たら、Mも一緒に連れて行こうと思っている。

「Peter SENIOR やJan STEPHENSONの打ち方をMにも見せてやりたいが、見えないもなあ」

私のボランティアは不可能の範ちゅうを心で行き来する楽しさがある。
精神的な、そして神経の集中の厳しさ、70過ぎの体力の限界への挑戦、
自分の弱気への戒め、
どれもが、人間、私の表現。

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