私のボランティアNO79 広瀬寿武
(後期高齢者の力と尊厳)
最近日本のニュースで後期高齢者と言う、70年以上生きてきた高齢者と認識する私にも意味不明瞭な言葉を耳にする。
後期が有るのなら前期、中期も有るのだろうかと、言葉の韻も気に入らないが、その色分けがどんな基準でなされたのか理解出来ない。
75歳以上が後期になると。じゃ74歳は中期か?前期は何歳から?屁理屈を言いたくなるのは私だけではないだろう。
医療制度に名を借り後期だの前期だのと勝手な線引きをして、高齢者の気持ちを無視した表現は死ぬまで付いて回るのか?
私のボランティアは最初から医療関係だった。
がん患者の通院を助けるドライバー。
老人ホームで車いす使用者を乗せてのドライバー。
精神障害者のサポート。
盲人協会で盲人ゴルフのキャディと世話役。盲導犬の資金集め。
どれもが平日の昼間(平均朝9時~3時まで)
がんセンターは朝7時~夕5時までの平日。
平日の昼間にボランティアが出来る人は、後期か前期かは別にして、男女を問わず高齢者が殆どだ。
盲人協会に所属するボランティアは100人を越す。レセプション、ライブラリー、盲人高齢者のサポートと多種に亘る部門で、専門職以外の多くはボランティアが業務を補助する活動をしている。
他のボランティア(精神障害、老人ホーム、がんセンター)もそうだが、どれもが当てにされ、頼りにされているボランティア。
時間割り、日にち割り分担と、週間、月間割り当て表が出来ているため、自分の都合で来たり休んだりが出来ない。そのため高齢者は苦痛なのか、体調との関わりなのか、自分との都合に合わない事が多くなると、気まずく辞めてしまう。特に前期か中期の高齢者は趣味、旅行と自分の時間を優先する(当たり前の事)ので、拘束され自由にならないボランティアは敬遠される。女性に比べ男性の方が敬遠率は高い。これはボランティア精神の欠如と言う意味ではない。人夫々生活環境が違うので当然の事なのだ。
当てにならないと困るボランティアが医療系には多い。
盲人協会で盲人ゴルフの世話役、キャディ等と他の殆どは80歳前後。私なんか若い方。
でもこの後期高齢者は盲人ゴルファーにとって無くてはならない人達。
彼等を頼りにし、当てにして盲人ゴルファーはゴルフが出来る。当てにされている彼等には後期高齢者の境地に浸っている分けにはいかない。
最高者は89歳。毎週毎週、顔をつやつやさせてやって来る。私より16歳年上。雨の日、ずぶ濡れになって泣き言を言っていたら、後期の後期高齢者にどやされた。
「俺を見ろ。半袖半ズボン、それでずぶ濡れ。トシなんか俺より遥かに若いじゃないか」
「体格が違うんだよな!」89歳で腕、太股の筋肉、骨格の構成が違うのも事実だが。彼等、10年以上も続けているつわもの。
女性の世話役も私より年上が何人もいるが、誰もが精神的にも肉体的にも溌剌としている後期高齢者達。
「後期高齢者」と言う韻は何となく「死」に近づいているようで、ここオーストラリアでは馴染まない、と言うよりそんな失礼な高齢者の尊厳を無視した言葉を考える役人や政治家がいないのだろう。
私のボランティアの環境は高齢者の力と尊厳が漲っている、と同時に、その相互の信頼が有って奉仕活動も成り立っている。
日本へ行くと私もそろそろ後期高齢者の部類に入れられる。でも、ここに居たらボランティアの仲間と共に、明日の活動に心が励む。
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