私のボランティアNO76 広瀬寿武
(目標を持たないボランティア)
私の物忘れによるトラブルは自他共に認め、笑い話では済まされない。だが、それを私自身が認識する事で、常に(これが疑問)注意、気を付ける事へ配慮をする方向へ意識が向かう。当たり前の事なのだろうが。
人の目には「一生懸命」ボランティアに集中しているように見えるのだろうか?
ブラインド協会、ボランティア協会から「2007年度最優秀サポート賞」のメダルと賞状をもらった。
3年続けての受賞は私が初めてだと、表彰式でのコメント。
私自身の物忘れに、自分で腹を立て、舌打ちをしながら、時には笑いの中で、その日その日のボランティアを何とか無事に行う事だけに没頭して、家に帰り「ああ、疲れた」と、それだけのボランティアなのに。
協会役員達の推薦で大勢の中から選ばれたのだから「価値」が有るのだと、出席者達の祝福を、素直に嬉しいと喜ぶべきか。
「貴方、大変な事が一杯有ったけど、頑張って良かったね」と妻は額に入れた幾つかの賞状と楯、メダルを居間に飾って、労ってくれた。
これが「私のボランティア」の証かと、くすぐったい思いで眺めたのは、私のボランティアの何処に賞に値するものが有ったのか、特に頑張ったと言う思いも無いし、いい加減な自分も見えるから。
「来年も貰えると良いわね」よく言ってくれるわ!
私のボランティア、見栄や上辺の欲で、人の心の中に飛び込めるものではないし、対する人も心で私を感じる。
人と人との真の心の葛藤なのだから、偽善は直ぐに化けの皮が剥がれる。
腹が立つ、怒る、涙を流す、笑い喜ぶ、そしてしょっちゅう、辞めようかなと心が揺れる、そんな自然な人との係わり合いの方が楽なんですよ。
賞を貰おうなんて心を飾るのは、単純、いい加減な私には苦痛でしかないし、又、化けるのも下手だから皮が剥がれるのも簡単。
どんな事柄にぶつかっても、どんな人に出会ったとしても、やっぱり自分に都合の良い方向に心が向かい、時には、その気楽さの中に逃げ込もうとする。
私って、そう言う生き方しか出来ないのかもしれない。でも、それが出来る。
出来る事だけを武器に「私のボランティア」はゴールと言う目標を持たない。
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