私のボランティアNO74 広瀬寿武
(協力の精神)

人の心と言葉によりボランティアの関わり方に苦味を残す事がしばしばある。だが、神々の世界と違い、餓鬼道に苦しみながらの人間世界、神聖純粋であるだろうボランティア精神も、特に私のボランティアの心も汚れ惑い、腹立たしくさえなる。

あるコミィニティのボランティアを2年間、私の力の範囲内で協力してきた。夫々の役員が夫々の仕事を担当するのだが、パース在住が短いとか、英語力の問題、現役で働いているために役員業に集中出来ない、コンピュータの操作が出来ない、個人的な問題等々で、出来る人に仕事の負担を掛ける傾向にあった。これは止むを得ない、現実の事で咎める理由は全く無い。
誰かがやらなければ、イベント一つも前に進まない。
年度の終わりに事業内容を拾ってみた。
1年目は担当役員でもあったので仕方がないと割り切ってはみたが、年間行事企画が数回あり、その行事の手間隙と経費の掛かる部分、この内容の殆どに勢力を注いだと言うより、やらざるを得ない破目になった。
2年目は、全く私の担当外。だが1年目よりもっと忙しく難しく、その仕事が私に降りかかった。
これは理事会の進め方、役員の選考に、考えなければならない所は多いが、役員に立候補して協力してくれる人が居ない現実では、解決の出来ない問題だ。それでも役員として出来る事をしてくれるのは会員にとって有難いこと。私も2年目は辞退したのだが、行き掛かり上、引き受けてしまった。このこと自体が私の失敗で、このコミミィニティーに多大な迷惑をかけてしまった。
企画を立てるのは誰でも出来るが、それを実行するのは簡単ではない。
例えば、イベントの中に寄付集めが企画される。誰がするのか?誰も手を上げない。でも、誰かがやらなければならない。理事会責任者から「広瀬さんお願いします」「どうして私?」
「他に誰も適任者が居ないから」こんな理由で、どうしてこんな企画を?
イベント会場の選考決定の交渉「お願いします」これは事務局の仕事なのだが?
エンターテーメント、「お願いします」出演者も書き入れ時、時期を逸しての簡単な一言。
そんな事は簡単な事だろうとの思いが見える。それでも頼まれごとに必死に取り組む。
こちらの条件に合わすための交渉は簡単ではない。幾つもの出演者に交渉。食いつきたい為に、その時々レストランで経費と時間と労力を費やし、それでも思うように条件が噛み合わない。こちらの条件が厳しすぎるのが原因だが、理事会で決められた条件は条件。
それでも2件ほどこちらの条件に譲歩をしてOKが出たが、私には決定する権限が委譲されていない。「理事会にかけてから返事をする」に「時間が掛かるのなら他の人を優先する」でおじゃん。結局、子供の使い!私の苦労は理事会にとって無関係なのだ。
こんな交渉は馬鹿らしくてやっていられない。交渉ごとの決裂は私の力不足で固唾けられる。確かにその通りかもしれないが、徒労に腹がたったのも事実。結局理事会は「決定」を優先して権限の委譲を認めたが、時既に遅い。こんな事を同等に皆が関われば理解出来るだろうが、実際は交渉担当者以外、分からない心情。必死で考え、飛び回り、何とかしなければ間に合わない。どうして私がと思うが、そんな悠長な事を言っていられない現実。
だが、作り上げたイベントをみて「あれなら私でも出来たのに、どうして相談をしてくれなかったのだ」と。それを依頼、企画実行するまでの妻の協力も得た苦い苦労の道程を、無視した言葉。
思えば経費と時間労力を費やしてのボランティア。私の個人の為を思えば、馬鹿らしくてやらないのだが。でも会員が少しでも楽しい思いをすればと書けば、いやらしい奴だと批判されるだろう。多くの事業のボランティアを馬鹿らしいと思えども、理事会の仕方がない物理的な体質を考えれば、私の出来る範囲のボランティアは、どんな事情であるにせよ、役員を引き受けた以上、責任の一部と考えた。
馬鹿らしい事は、他の人が引き受けない事項を、やればやるほど、批判を受ける。
やらない人は批判を受けない。これも当然。
「人に任せば?」と妻。「どうして俺に降るのか?」「誰もやりたくない事を貴方がやるからよ」
「出来ない」のか「したくないのか」と言う逃げで、言葉の批判だけが空を飛ぶ。
それは長い間やってきた「私のボランティア」の中に存在しない現象。
その中で常に気になった言葉がある「私が手伝うよ」
「手伝う」とは他人の仕事を助けること。コミニィティの仕事は私の仕事でもあるが、
「言った」人の仕事でもある。手伝うと言う意識が何処にあるのか理解出来ないが、手伝うのではなく共に協力し合うべきだと考える。
ボランティアは皆共々、その精神に従い協力し合うものだと思う。
権力意識、名声名誉意識から離れることが、ボランティア行動の原則でもあるように思う。
「私のボランティア」に必要なものは無心の行動。
簡単なようで、実はこれほど難しいものは無い。
「人間だから」


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