私のボランティアNO68       広瀬寿武
(尊敬すべき生命力)

 私の母93歳が老衰で入院したと電話が来た。老人ホームの個室で暮らしていたが体に力が入らず、食べる気力も無くなり、一日中眠っている状態が続いているらしい。取り合えず、点滴で栄養補給をしている。病気ではないので医者も特別な治療は無いと言う。
片目を少し開いてカメラを見詰めている写メールが届いた。見ているのか、見えているのか分からないが、どうも、あの世への階段を上る気は無さそうな様子。もともと心臓が丈夫なので、この世との縁は切れないのだろう。

ブラインドゴルフのボランティアに、あの93歳のWが、クラブ3本を入れたバッグを担いでやって来た。ウインストンを私はチャーチルと呼ぶと「オー、トシ」サングラスをおでこに上げ、細目で私の顔に接近して覗き込むように微笑む。白内障の手術をしたが良くならず、グリーン上の5m先のホールが見えない。全くの盲目MとWのキャディは忙しく倍の気苦労に疲れるのだが、プレイ中はその疲れも感じない。最後の組になり、私が2人の面倒をみる貧乏神に取り付かれる場面がよくある。
Wは「距離は?」とよく聞く。距離と打った球との相関関係は全くないのが彼のゴルフ。100mであれ30mであれ飛ぶのは20mそこそこ。だが真っ直ぐ飛ぶので助かる。
Mも「距離は?」と聞く。彼は距離でクラブを選ぶ。100mなら9番アイアン、80mならピッチング、60mならサンドウイッチ。十分の飛距離は出るが、玉の行き先が定まらない。力があるので調子に乗ると2オンをする事、たまには?だが、玉探しに時間がかかる。この2人、1ホールの終わる時間が長いので結局、最後の組になる。
私が先にWの玉のある場所に行き、Wを呼ぶ。1分以上掛けて20mにたどり着く。その間にMを誘導しながらMの玉を探す。先日、或る人に手伝わせたが4ホールでギブアップ。
2人に目配り、キャディの役をこなし、玉探し、そしてゴルフを楽しませる気配りを忘れず、事故、怪我もなくと、老体と老脳を全開にするのは、私とてギブアップ寸前。‘
途中で放り投げる分けにいかない責任感と、安っぽい義務感が私の疲れを忘れさせる。
だが、ヨチヨチだが自分で歩き、毎週、クラブを担いでやってくるW。雨が降りそうな時はWもMも家から雨仕度のまま来る。
私は木曜日の夜から「金曜日ブラインドゴルフ」の日の気象情報が一番気になる。彼らは雨でも金曜日を楽しみにやってくる。傘をさせない雨降りは、私にとって最悪の不快な日になる。WとMを支えてはいる私の本音が、いい加減な、偽善的な気持ちを揺さぶる。
偽善で有ろうが無かろうが、2人は確実に来るのだから「私のボランティア」を最後までやり遂げなければならない。
母が93歳で老衰の境をさ迷っている。Wは93歳でゴルフ場をマイペースで挑戦しながら楽しんでいる。「93歳」と簡単に言うが尊敬に値する命の輝きだ。
母の命の燃は母自身の生命力が支えている。Wは挑戦する日々の中に生命力を内蔵している。母を思う心とWやMの挑戦に「私のボランティア」は支えられている。
生命力を理論的に理解する能力は無いが、生命力を感知できる環境にいることは「幸せなんだ」と思えば、来週の金曜日も2人を、もっと思いやることが出来るような気がする。

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