私のボランティアNO66
(言葉と体感) 広瀬寿武


「最も恐るべき敵は、
過酷な境遇ではない。
私達自身の揺れ動く心です」

三重苦と闘ったヘレンケラー女史の言葉。
最も恐ろしい敵は不遇ではない。運が良いとか悪いとか、そんなもので人生は
決まらない。我が人生を決するのは自分自身である。人生劇場の主人公は自分
自身である。と。
「見えず、聞こえず、しゃべれず」でありながら、社会福祉事業家として、人
生をあきらめず、常に前を向いて「人の為」を実践してきたヘレンケラー女史
が言うと、偉大な力を持った言葉に感じる。
尊敬に値する人々が魂を揺さぶるような意味深い言葉を与えてくれるが、その
ような人々は自分の人生哲学や敗れがたい信念を持って、その上に勇敢に人生
に取り組んだ経験をも、持っている。だが、哲学や信念なんかは飯の代わりに
ならないと思う私には、真実を教えてくれた言葉なのに、胃の中で消化されず、
栄養にもなっていない。
「私達自身の揺れ動く心です」確かにその通りだよな、とは思うのだが。
私なんか、一寸した障害にも「運が悪かった」「あの人のせいだ」と、
自分自身の不甲斐無さを棚に上げ、都合の良い時だけ主人公を気取る。
そんな人生を気楽に過ごして、もうじきあの世へ行く年になってしまっ
たのに、未だに揺れ動く心のままだ。
これは「最も恐るべき敵と共同生活をしている」ことになる。
「そうか!だからしょっちゅう、つまずいてばかりいるんだ」
「わかったぞ」と力んではみるが、人生革命をするだけの勇気もなく、
ぐうたらな人生が続く。結局何も分かってはいない。

ボランティアで盲人ゴルファーのキャディをしているが、彼等は私より遥か
に力強く健康なのか、滅多に休まずゴルフ場に集まる。私の担当するMは全
くの盲目、片耳難聴だが、174cm、85kgの頑強な体格。丸太みたいな太い腕
で私の腕をがっちり摑まえられると、重い荷車を引っ張っているようで、華奢
な私には重労働。それに、でこぼこだらけのゴルフ場を怪我の無いように最善
の注意をしながらプレイを楽しませる気苦労で、終わると疲れて気が抜ける。
だが、考えてみるとヘレンケラー女史みたいに「過酷な境遇」ではないと思う
が、でもやっぱり健常者と比べると盲人達は「過酷な境遇」だと思う。
打つ方向に向かい立たせ、クラブのフェイスをボールに合わせ、距離を教え
て打たす。
健常者でもそうそう上手く打てないゴルフ「盲人が打てるわけないよ」と人
からよく言われるが、ところが、どうして、ボランティアのキャディの心掛
けしだいで、パーもバーディも有るが、何と言っても盲人ゴルファーの挑戦
と勇気と努力が全てと言える。
彼等の果敢で勇敢に人生と取り組む姿は、私達ボランティアキャディに
「あきらめてはだめだ」と教えてくれる。
「あきらめ、挑戦、勇気を欠くと、人生の喜びを欠くことになるよ!」と。
体感から会得した、ヘレンケラー女史の真実と意味深い言葉の大きさ。

私70歳、未だ臆病で怠慢のそしりを免れない。でも漠然とではあるが体感か
ら何かを感じたのだ。
今からでも人生の喜びとやらに挑戦してみようかなと思うのだが。
「もう遅いんじゃないの?」
                           
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