私のボランティアNO65     広瀬寿武
(社会が私に貢献してくれた)

或る人がこのシリーズを読んでいるらしく、どの様な意味合いを込めて言った
のか理解しがたいが「よくも、勝手な事を書いていますな」と。
反対に「勝手でない書き物とは?」どんなものなのか?と質問をしたい。
書くと言うことは元来、筆者の勝手(自由)な意見、思考等の表現と思ってい
る私には、自他共にインテリを自負している人の言葉としては解せない。
新聞の社説を見ても真っ向から違った思考があり、それなりに頷けるが、これ
を勝手な事と言う表現は出来ない。小説、随筆等々、夫々が筆者の思いを勝手
に表現している。面白いか面白くないかも読み感じる人の勝手な思いだろう。
特に付け加えると「私には勝手な事しか書けない」が結論。

色々なボランティア体験記が夫々の思いで書かれている。
某日本人ボランティア団体が当地の社会に多大な貢献をしている記事を見る。
比較した所で無意味な事だが、私のボランティアでは足元にも及ばない、偉大な
現地社会への貢献に敬服する。ボランティアの一つの形としてそのような事が出
来れば良いと思うのだが、これには私自身の人間能力が大きく関係すると同時に、
ボランティアに対する日常的な思考を、前記の団体に携わる人達のように目的意
識を持つように変えなければ、私のボランティアでは現地社会へ貢献することは
到底不可能なことと思うのだが、やっぱり私は私なりの事しか出来ない事は私自
身が一番良く知っている。
毎週毎週、週3日ボランティアに出掛けて7年を越すが、現地社会へ貢献しよう
と考えた事はない。そんな目的意識を持たない、いい加減なボランティアだから、
長年経っても成長しない現実。

がん患者の苦しみを見ながら、車の事故もなく一日無事に患者の送迎を終わる事
に集中し、頭の中は他のことを考える余裕なぞは全く無い。
精神障害者との一日は、患者の分刻みの変化を読み取り、それに対応した接し方
をして、尚且つ、共に楽しい一日であるよう気配りに心身を集中すると他に頭が
回らない。
ブラインドのサポートは講習で、くどい程注意を受けた「出来るだけブラインド
の身になって、彼らの身に絶対事故が無いよう、細心以上の注意をすること」と。
だが、ブラインドの身になってと言われてもブラインドの頭の中を想像も出来ない
私の頭。「ブラインドが頼りにし摑まっているお前の腕で、彼等の気持ちを察すれ」
だが、最近、私の腕にしっかり摑まっているM(全盲、方耳難聴)の手の力具合で、
具体的に表現は出来ないが気持ちが分かるようになって私自身が楽しいサポート。
だからと言って余裕が有るわけではない。
車椅子の老人の送迎も神経を消耗する。老人の骨は簡単に問題を起こすので普段
の運転とは全く違う、私らしからぬ運転。「私らしくない」が最大の悩み。
最近はこの仕事、適当な理由をつけてよくサボる。
これらボランティアの何処を探しても、目的意識や社会に貢献と言う字の影すら
見つからない、日常の私のボランティア。

或る水曜日。
9時から12時30分までO’C(精神障害サポートセンター)。
この日はGuide Dog Street Appeal 盲導犬飼育のためのアッピールと募金活動。
1時から4時までCity の真ん中Mall/Forrest Place。マイヤーデパートの前が
私の持ち場。平日のためボランティアが少なく、シティ全域で10名足らず。
真っ赤な前掛けのようなユニホームの前後に、派手なGuide Dog文字、大きな
認識表を胸に募金箱と隣に盲導犬を従えての出で立ち。
盲導犬が居れば何のためのアッピールであるかは、通りすがりの人に一目瞭然。
スクールホリディで人出は上場、子供達も多く、盲導犬の回りには人が集まり、
犬も心得ていて愛想を振り撒きアッピールには最高だが、盲導犬にだけ人気が集
まり募金の邪魔になり成果は今一つ。
私の主たる役は募金活動。犬さんに遠慮をしてもらい、デパートの入り口近くに
場所を移動、そこに一人立ち、募金箱を抱え、声を前に出して3時間。
ゴルフで4時間、激しい運動の連続だが、ここでの1時間はそれに匹敵する。
姿勢を正し、愛想よく、笑顔で丁寧にお礼を言いながら、通り掛かりの人に気を配
る。経験上、ただ立って気の無い態度で居たら募金は集まらないが、かといって、
通りを行き交う人々に嫌悪感を与えては、マイナスになる。そこは70歳の私の狡さ
がものを言う。でも、募金をしてくれる人達の好意は本当に嬉しかったので、素直
に心から感謝感動の気持ちを態度で表すと、答えてくれ振り返り手を振ってくれた。
人々の心に目頭が熱くなる連続に、私自身の心の宝が濡れて光る。
何度も休憩しようか、声が嗄れ飲み物を買いに行こうかと思ったが、その間に募金
してくれる人が通り過ぎてしまったらと思うと我慢をしてしまう。
「私の懐に入るお金ではないのに」と思うのだが、何なんだろう?
私のずーと前の方で盲導犬が私の方を見ている。
「真面目にしっかり募金集めをしろよ!」と殆ど動かず姿勢も変わらず、盲導犬の
献身的な愛想には感心する。私の心許ないボランティアの態度は盲導犬にも劣るのか。
この募金でこの様な盲導犬が誕生し、それを待つ盲人達に何頭提供出来るだろうかと
思うとサボれない。
この経験で思わぬことが分かった。行き交う人の四分の一はアジア系。どちらかと
言うと彼らの方がアジア系以外の人達より、身なり飾り衣服は裕福そうに見える。
アジアの顔をした私がアッピールをしても「物乞いをしているアジア人」と訝った
態度で遠のく。結果としては私の知っている日本人の奥さん1人が「あら、何を
しているの」と近ずいて来たのを幸いに、募金を頼んだ。そして若い女性の2人
連れともう1人の、アジア人はこの4人だけ。
だが、アボリジニーもアイスを舐めながら、子供もおつりの小銭を、乳母車のお
母さんも、車椅子の身障者同伴の人も、大道で芸をしてお金を集めた芸人も帰り
掛けに黙って募金箱に、俺の財布が小銭で重いからとはにかみながらの30代、
おぼつかない手で下に小銭を落としたお婆さん、忙しそうな紳士が通り過ぎて後
戻りポケットをもぞもぞして募金箱へ。
私の「Thank you」にはあらん限りの感動と感謝を込めた。
みんなみんな、アジア系以外のオーストラリアの住人。
アジアと西欧の意識の違いなんだろうかと、自分のボランティア意識と重ね合わせ
てみたが。
心ある募金の重さが私の腕と肩を疲れさせたのだろうが、とても快い疲れに満足し、
感謝の感動が私の血肉に溶け疲労に栄養を注いだ。
社会が私に貢献してくれた一日。
午前と午後の二つのボランティア。

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