私のボランティアNO64 広瀬寿武
(当たり前のこと?)
3月からブラインドゴルフが始まった。12〜2月までの3ヶ月間
は暑さと、プレイをさせてくれるゴルフ場の都合で休み。
初日クラブハウス前にはブラインドとキャディが大勢、黄色いユニ
ホーム姿で気勢を上げていた。久し振りの顔合せとゲームを待ち侘び
ていたのだろう。その浮かれた気持ちが私にも伝わって来た。
同じ場所にあの姿勢で聞こえる方の耳を欹てているM、だが少し不
安気に私の到着を待っている姿。回りに「元気だったか?」と挨拶
する私の声を聞いて「トシ!」顔は正面を向いたまま元気な声で呼
んだ。私の足音と声を待っているM、それを分かっていて遠くから
既に心で声を掛けている、サポート役とキャディ役の私。
今年一年も変わらない私のボランティアの一つが始まった。
Mの気持ちの動きや久し振りの体調を読み取れないままのキャディ、
初日はめちゃくちゃなゴルフでお互いを慰め合い「来週は勝とう」と。
3ヶ月振りのプレイはあっちでもこっちでもチンプレイの続出。
私だって3日やらないとゴルフにならないのだから当然だろう。
全員終わりを待って初日のランチパーティ。役員、サポーターが一
品持ち寄り。私の一品は新鮮さを考え女房が作り届けてくれた
「巻きすし」
総勢合わせ100人を越す参加者、作る量に苦労しただろうと女房
に感謝。とは言え多種多量の一品の山、見るだけでも楽しいのに見
えないMには気の毒だが、私の料理音痴では説明のしようがない。
適当に皿に取り彼に渡す。
「トシ、これは何だ?」「すしだ」「これがすしか、初めて食べたが
美味いよ。誰が料理したのだ」すしは料理なのかな?「ワイフ」
「トシのワイフは料理が上手だ。幸せ者だよ」お世辞?
本当に美味いと思っているのかな?
隣でボランティアのキャディD(64歳)が、すしを巻いた海苔を丁寧
に剥いて、手の平でくずれたすしの残骸を摘んで食べている。
「それは皮ではないよ、海苔だからそのまま食べられるんだ」
「そうか、黒いから食べられないと思ったよ」
たべ慣れない人も居るだろうと、すし飯が崩れないように丁寧に
巻いた海苔を指の爪先でめしと剥がす作業は、すしの食べ方を考え
たことも無い私にとって、実に不思議なそして滑稽な姿に映った。
同時に女房の心ある熱い行為に申し訳ない思いも湧いた。
ボランティアのキャディは平均的生活か、それ以上なのに日本の
代表的な食べ物「すし」を食べたことのない人がいるものだと、一
寸驚いたが、終わってみるとあれだけ有ったすしも完売。
考えてみると私だって異国を歩いて知らない食べ物に躊躇した経験
は何度も有る。食べ物文化はその国によって大きな違いがあり、味
覚も違う。だが、余りにも滑稽な姿と仕草は話す価値が有ると思い
女房に事の次第を話すと「そうよね、海苔って黒いから汚く見える
のよ。おすしで良かったのかしら、美味しいと思ったのかしら」
「売り切れになったのだから心配要らないよ」
翌週みんなから「すし、美味かったこの次もお願いしたいわ」と言
われ女房の代わりに安堵した。
先日忘れ物をMの家に届けた。彼は或るキャラバンパークに中古の
キャラバンを購入して住んでいる。盲目の彼にとって家の中だけは
不自由なく歩け気分良く過ごせる天国。そのように工夫して整理し
てあるのだが、私から見れば「これで整理整頓?」と目が見えるが
ための不自由さ。
「トシ、コーヒー飲むか?」「自分で入れるよ」「OK、棚の2番目に
カップが有る」危険を考え湯沸し、料理等全て電気使用器具。
小さな流し台に朝食後の食器、食べ滓がそのまま。ゴキブリが数匹
食べ滓を漁っている。
「さっき飲んで来たから良いわ」ゴキブリを見た後のタイミングの悪
い言い訳に我ながら呆れるが、目の見える不便さと思うべきなのか?
日常、当たり前と気にも留めず、疑問にも思わず暮らしている、様々
な事柄を身障者のボランティアの中で多く体験する。
身障者にとって当たり前の日常が、健常者にとってストレスの原因に
もなる。人の生き方の複雑さは面倒なことが多い。
「あの時、コーヒーを飲むべきだった」と表面的な反省をしてはいる
が、でもMの家では「絶対」に飲まない、食べない。それは確かだ。
ボランティアだと、どんなに力んでみたところで、盆凡人以下の私の
心の程度はこんなものだ。
それでも私のボランティアは毎週毎週「ほら、今日も出かけなければ!」
と尻をたたく。
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