私のボランティアNO61 広瀬寿武
(論理と具体的な実践)

毎日の様に有るパーティ、一年前にも同じようにターキーの料理を食べ飽き
た時期が有った。貧困な生活の毎日、ターキーが高級だと言われても私には
鳥のから揚げの方が、遥かに美味く楽しく味わえる。
なんだかんだとボランティアに関わるパーティも数多く、時には昼夜、一日
に2回も有ると「また、ターキーだ」胃の方が先に拒否反応を起こす。

O’Cを除き、他のボランティア関係は州政府が援助する所もあり、結構裕福
で、卓上は豪華に盛り付けられ、合わせて出席者もホーマルな出で立ち。だが、
この時期、O’Cでも(勿論ケータリングだが)約百五十人を越す参加者にター
キー料理をふんだんに盛り付けた大皿が並ぶ。年一回のX’masパーティをメ
ンバー(精神障害者)達は楽しみに楽しみに待っているための椀飯振る舞い。
「食」だけへの興味だから、彼等の服装は至ってシンプル。
私は前掛け姿のウエーター兼世話役「トシ、飲み物!」「御代わりは?」「ここ
にまだデザートがこないよ」「どうだ、美味いか?」満腹したメンバーに飲み
物サーブをするため、カウンターに入る。こぼしたり、ひっくり返したり、こ
れだけの人数が居ると半端でなく忙しい。その日、私は招待されていたのだが、
何時ものボランティアの方が私にお似合いだ。
何時もと違った雰囲気、私が気取っていたらメンバー達も落ち着かない。心が
通じているとこんな時でも、ここでボランティアをしている立場上の責任と義
務を感じる。
或る理論派のインテリが私に「ボランティアには責任と義務がない」と言って
いた。
私の関わるボランティアで、もし責任と義務を心得ていなければ即座に断られ
るだろう。
先ず、これらのボランティアに付く前に、講習を数十時間受ける義務が有り、
終わると適正を判断され、第一に「責任(感)と義務(感)」が要求される。

CFでは、がん患者を病院、診療所等に送迎する一日一人のボランティアドラ
イバー。
レセプションでする患者の予約表によって、平均、10〜15人の患者を運ぶ。
週一回、決まった曜日に出向く。前日にメールで表が送られて来る。
先ず、絶対出向く義務が課せられる。一日一人しか居ないので責任があり、
特別な事が無い限り休めない。事前(10日以上前)の調整はドライバー同士
やりくりをするが、突然だと待っている患者もレセプションも困り、信用さ
れなくなる。私も1〜2回有ったが、他の曜日の人と交渉して変わってもらった
事は有るが、負担が重くなる。みんな、自分の責任を果たすだけで手一杯なの
だ。患者を事故の無い様に運び、時間にも間に合わす責任と義務は当然なが
ら当たり前。CFも我々の保障に保険を掛け責任と義務の業務を完璧にする。

(BGAWA)ブラインドゴルフも同じで、事前に休む調整が出来ていれば別だが、
それぞれサポートする担当が決まっていて、突然代わっても双方で戸惑う。
プレイヤーとキャディが気持ちを理会し合うのに数年は掛かる。長い人は7
年も同じブラインドプレイヤーをサポートしている。私はMを3年。
私が行かなければ、行く義務と責任をいい加減にすると、Mはゴルフ場の入
り口で私の足音の方向に耳を向け、ひたすら待っている。だから雨の日
も風の日もボランティアの義務と責任を果たし、Mの目になり、心を感じて、
事故も無く無事に、しかも楽しさを共有出来るように神経を使う。

MCでは老人を車椅子のまま、車に乗せ運ぶ。勿論、特殊な講習と資格が義務
として課せられる。
それまで知らなかったが、シートベルトをして普通のシートに座る場合と、車
椅子のまま運ぶ場合とでは、乗っている人に掛かる遠心力が大きく違う。老人
の骨は脆く、車椅子の場合は、特に曲がる場合は、最善の注意が必要になる。

O’CでOutingだとか戸外のイベントを行うために私の行く日(毎週水曜)を毎
月のスケジュールに組み込む。この段階ですでに責任と義務が課せられる。
行かなければ当日中止になる。予算ぎりぎりで活動しているボランティア団体、
私は重要なスッタフになっている。7年目を迎えるO’Cのボランティア。
ソーシャルワーカー(SW)と共にロイヤルショウへ毎年20〜30人を引率。
SWは若く自分も楽しみたいのか私に押し付けて、勝手にどこかへ行ってしまう。
メンバーが人混みの中へ紛れ込み、居なくなったら何としてでも見つけなければ
ならない。引き受けた以上は私の責任、それだけではない、大変な労力でもある。
O’Cではこんな経験を何度かしていて、其の度に責任の重さを感じ、冷や汗をか
いた。
上記はボランティアの中のほんの一例にしか過ぎない。

ボランティアには義務と責任がないと、論理や理論で説明されても、実践や、
具体的な行動を無視しての内容では、私の脳内は理解に苦しむ。
何はともあれ、私自身の体内で責任感と義務感がエネルギーとして失ったら、
私のボランティアも終わっているだろうと思っている。
この責任感と義務感が表彰され、2006年度の賞を貰った。これは結果であって、
この結果を想像したり予想してボランティアを行った事は一度も無い。
「疲れたな、何時辞めようか」何時もこんな事を思っている。
「誰が」「何時」「どんな思考、感覚」で賞の受賞に値すると決めるのか、
全く分からないが、2年続けての受賞。
私の衰えかけたボランティアエネルギーに、栄養を与え様と思った誰かが居
たのかもしれない。事実、その甘い飴に騙され「来年も続けるか??」と。
1月3日ボランティアの初日。

Minister’s Certificate of Recognition
Awarded toToshi Hirose
In recognition of outstanding volunteer service
to the WA Community

O,C (June O’Connor centre Inc)精神障害者のディケァセンター
CF(Cancer Foundation)政府関連のがん患者サポート団体(法人)
MC (Mercy Centre)宗教法人運営のボランティア団体、病院、学校、
老人ホーム等
BGAWA(Association for the Blind of WA )政府関連:盲人の総合的な
サポート団体(法人)
(盲人ゴルフ及び盲導犬に関わるボランティアをしている)

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