私のボランティアNO60 広瀬寿武
(言葉の分かち合い)
約6週間の日本滞在中、身内の祝い事に浮かれ酔いが醒めぬ早朝、妻の身内
の不幸を知らせる電話で全ての予定が一変した。
化粧もそこそこに新幹線に急ぐ妻を慰め、送り出し、後日、我が家族(息子、
娘)と葬儀へ向かった。
急死した叔父の背中は子供達の成長の一時期、温かく優しい思い出を共有し
ている。偶々、その子供達も全員が日本に居て、家族で葬儀に参列出来、
冥福を祈ることが出来た「めぐり合わせ」の不思議な因果を感じる。
生命が触れ合い言葉を分かち合ったから、共に生きた素晴らしさが身に染み、
深く悲しい。
言葉は人と分かち合い、心を通わせることによって、命が誕生する。
生まれた言葉に何の交流も無ければ、そのまんま、価値の無い、或いは意味
の無いものになり、空間に消えてしまい、死に体になってしまう。
人の死に立ち合うと、人との間に生まれた言葉を大事にしたか、どうかを
改めて疑問に思う。
そして、私のボランティアの中でも、どれだけ言葉を分かち合っているだろ
うかと思わないでいられない。
手紙が山と溜まり、連絡、断り、謝りと雑用に追われながら整理をする中、
ボランティアに関する手紙も「どうしてこんなに?」と思うほど。その多く
は関わっている団体からとWAボランティア アソシエーションからの招待状。
11月の末から12月中旬に掛け、一年間の活動にご褒美の飴をくれるパーティ。
おまけに「RSVP」私自身の日程調整も難しい位数多い催し。
ボランティアをやる人は基本的に暇なんだと、つい独り言。
中に2通のとんでもない誘い。
Training Organization and one of the nationally recognized training
courses that it delivers is the Certificate IV in Disability Work.
と長々とボランティアワークの必要性を書いた手紙。しかもこれまた名指し
で「RSVP」。
要するにトレーニングを受け、より高いボランティアの資格証を取り、不足し
ている難易度の高い身障者のボランティアをしてくれと言うこと。
経験有る貴方の助けが必要ですと付け加えてある。
ほっておいたら電話が来た。それだけボランティアの人不足。
それは良く分かるが、週3回のボランティアを週1回に減らしたいし、70
歳を越した年齢、脳味噌も腐り始めた昨今、無理は出来なく、我が身の管理
にも妻の手を煩わす現在、余裕なんか無いのだ。
電話で言葉を分かち合っていると、一つ一つの言葉に生が得られ、心が引
き込まれる。危ない危ない、安請け合いしないように私の断りの言葉にも心
を込めた。爽やかな理解が誕生した言葉の分かち合い。
「老体の私より若く能動的な奉仕精神の持ち主は居ないものか?」
或るボランティア団体がふと頭に浮かんだが。私のボランティアと少し考え
方が違い、離れた距離にあり、地位、名声だけが浮き出ているように見え、
感じたので、無責任に推薦することを止めた。
ボランティアとは単純だが、無心の奉仕の心が有ってお互いの心を分かち
合うことが出来る。一にも二にも、これが重要な命題だと思うが。
人間だから、人間だもの。
他人ごとではない。私も人間、弱く、欲望の固まり、嘘は付くし、自己顕示
に限りが無く、怠け者、その上頭の回転は悪く、限りなく人間の欠点をさらけ
出す。
だが、ボランティアの中に居ると少しでも何かを分かち合える一時を持てる。
私も無心の奉仕で接し、純真を得ようとする。
そうしたいと常に思うのだが、本当の心ある言葉で相手の言葉を、心と体で
受け止め分かち合う、これはいまだ私の課題。
長い間、精神障害を抱える人達と、盲目の障害に強く立ち向かう人達と、癌
の苦悩と戦う人達と、老齢を生き抜く人達と、ボランティアの経験だけは積
み重ねて来たが、私の老化現象に比例して精神的成長は反比例して行く。
だからこそ、私自身にこそ、人間だからこそ、人と分かち合う言葉が必要な
のかもしれない。
ボランティア団体を管理する政府系の部署からまた、招待状。
「どれか、一つぐらいは都合つけて出席したら?」と妻。
名誉的な会はつまらない--が、これも言葉を分かち合う手段の一つなのか?
惑い箸。(無作法な選択)
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