私のボランティア NO6 広瀬寿武
何となく始めたボランティアの終わりを考えた事が無かった.
先日,2001 The Internatioal Year Volunteerの会議が有った.
朝,七時半Brekfast Meetingに始まり夜のカクテルパ−ティ.
翌日,五時までSectional Meeting,Total Meetingのプランに,
招待状の出欠を放置して置いたが,マネ−ジャ−の強引な誘いに負けて
出席するはめになった.
昨年もそうだったが,日本人の招待者が私と妻(夫婦同伴)だけと言うのは肩身が狭い,
それに私一人の考え,意見が日本人を代表している様に思われるのも困る.
だが,グル−プミ−ティングでは積極的に意見参加を求められる.
私は求められなくとも勝手と言うか,積極的に発言するので,妻は他の日本人の意見が有れば,
もっとマイルドな表現になるかも,と. どう言うこっちゃ!!
ボランティアとは何か?に始まり,話題が「今のボランティアを止めたい」と思うかと来た.
そりゃ,二年間も毎週毎週,続けているのだから気分の乗らない日は何度有った事か.
だが止めようと考えた事は一度も無い.
「Why?」 止めたくないと思った事もない.惰性か.そうでもない.
義務感,責任感,いやいやそんな「感」は唯の感にしか過ぎない.
「このボランティアが私に向いている,苦しくない,楽しさを見つけられる」
みんなもそれぞれの理由が有る.
休憩時間,ふと思った「私がボランティアを止める日はどんな時だろう」
世界中の命有る物を支えるボタンティア活動に終わりは無い.だが,だが
きっと・・・ 私の止める日を想うと楽しく愛しい.
可笑しいかな,どうだろう!
因に「止める日が来たら止めるよ,それが何時の日か分からないが.
それまで続ける」と簡単で意図も当たり前の結論で拍手.
もう一つ当たり前のディスカッション.
「ボランティアをする人と受ける人の関係」
ボランティアをする人は,無償,無料奉仕を原則とする.
受ける人(有資格者及び社会一般が認め納得する人)も報奨に値する
金員支払わない.この関係を認識してボランティアを行なうべし.
ボランティアと称して金員を要求したり,派遣された者が行為に対して
相当な報酬を得るとしたら,ボランティアと認められないし又,
トラブルが発生する原因になる.
確かにボランティア行為には,経済的,精神的等々な負担は常に有る。
ボランティアエ−ジェントも負担を軽くする努力は惜しまないが,無にする事は出来ない.
経費(駐車料,遠距離への燃料費等)は請求するように言われるが,
私はつい面倒でした事がない.ボランティアとはあれもこれも含めて,
納得しながら行なっている.
色々な問題,話題に付いては,時を見て書くとする.
今年もロイアルショウの日が来た.
O’Cの約四十人を引率.一人$10の小遣を渡す.
昨年は二人迷大人になり大変な苦労をした経験を生かし,私自身利口になっている.
途中,車椅子のグル−プ,車ベッドをサポ−トするボランティアの人に会い,お互い労を労う.
汗塗れの彼女達,着る物どころか化粧っけにも気遣わず,障害者の気持ちを追う.
「P,あんまり離れないでよ!」私は六人を伴ってPの後を追う.
みんなでかいので中に埋もれて子供の様に見える私を,突いたり冷やかしたりの珍道中.
娘が出掛けに「パパ,ボランティアネ−ムプレ−トを見える所に付けて行ってね,
私の友達に会った時,見分けがつく様に」
私には違和感の無いO’Cの人達も一般には娘と同じ感覚で捉えるのだろうか.
それも仕方の無いことなのかも知れない.
「わかったよ!友達に声を掛けてやるよ」
「止めてよ!パパも変なんじゃないかとおもわれるから」
好天に恵まれ,皆のリラックスした顔が私が励ます.
早朝から,ハンバ−ガ−を作り,ジュ−ス,コ−ヒ−をポット数本に入れ,
リンゴとビスケット,図体の大きな連中に持たせ,連れ歩く姿は滑稽かもしれない.
「貧乏」を絵に書いた様だが,全員,バ−ガ−,コ−ヒ−,クッキ−に十分満足している.
「トシ,バガ−うまかったよ」
金じゃないよな!心底私の心に響いた.
一生懸命話す私の顔を見て妻は
「良かったね,皆無事で,喜んで!貴方が一番楽しそう」
妻の優しさに疲れが吹っ飛んだ.
「来月は何するの?」「Whale Watching」
今夜はクジラの夢を見そう.
(O’C,精神病患者の社会復帰をサポ−トする
公の認可を受けた団体.患者数千人を越す)
(toshiyoko@hotmail.com)
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