私のボランティアNO59 広瀬寿武
(素直に感謝する)

O’Centreでのボランティアは、モーニングティの仕度から始まり、集まって
来るメンバーの体調、感情の状態等をチェックしながら対話、ゲーム、絵描き、
等夫々に合わせ、外歩きもする。だが、一番手間隙の掛かるのは昼食作り。
メンバーには現在一食$2で提供していますが、その$2ですらクレッジット。
セキュリティマネーが入ると纏めて支払う。彼等をそこまでして至れり尽せり
の世話をしてくれる所が数少ないのと、交通の便りな所も少ない。
City近辺のO’CentreはSubiac Fremantle Joondalupとバス便の良い所に
所在している為、乗り継いでも来安いので、一箇所で30〜40人は集まる。
同じ障害(精神)を持つ仲間と一日居る安心感、朝食(簡単なトースト)無料、
昼食が出来る安心感が精神状態を安定させるのだろうか、一日ゆったりとして、
閉める4時まで過ごす。殆どのメンバーは公的機関が用意した家に帰る。決し
て満足な住み心地ではないが、公的機関(政府)と社会奉仕事業団体の連携で
彼等は安心して日々を過ごせる。時々、Mrs O’Connerさん(75歳を過ぎ、
皺が目立つ)と会う度に、もうこのボランティアを止め様かなと思っている私
の決断が鈍り、又今年も続けるはめになってしまった。メンバーの為と言うよ
り、全財産と生涯を注ぎ込んでいる、このお婆さんの意気込みに感動する私の
安っぽい感情の延長なのかもしれない。
そこで昼食。栄養、量、価格等を考え合わせると原価$2は無理難題。
Centreの運営は常に難問だらけ。政府の援助(予算は削られる一方)、寄付等
に頼るがMrs O’Connerさんは一生苦労するだろう。
当然、担当するスッタフも食事のメニューは頭痛の種。
私も見かねて、でしゃばらなくても良いのに「来週は私が作る」と言う事が年
に4〜5回。
私の年代では普通の事かもしれないが、料理なんか家で作った事が無い。
物心ついた頃、祖父は北海道の御陵長官、父は佐官クラスの高級将校、家には
女中(当時の名称)さん2人、下男(当時の名称)1〜2人が居て、祖父母や
父に「男が台所でうろちょろするな」と厳しく叱られた。
食べ物に不自由した憶えは無いが、台所は快い秘密の宝が一杯有る様に思え、
良く忍び込み女中さんがこっそり作ってくれた「おこげのおにぎり」となすの漬物
は、お菓子や羊羹のおやつより美味しかったし、夕食の匂いも優しく鼻を擽った。
だが、常に父の拳骨が怖くて、こっそり行動。以来、料理を作る興味は全く無い。
現在もテーブルの前で料理の出て来るのを待つだけ。妻殿は又、料理が上手いの
で外食するより家で食事する方が遥かに良いと、男冥利につきる日々。

「貴方、Centreのお料理、引き受けて来るのは良いけど、自分で作るの?!」
「俺が作った物を、誰が食うか、犬でも食わない!」「じゃ、どうするの」
妻殿、分かっていながら、私を苛める。
11月20日水曜日、私(妻)の担当のカレーとトマトシュチュウ(カレー
嫌いに)30〜40人分の食事。
デカイ鍋を二つCentreから。妻殿に言われた買い物、牛肉2Kgと他の材料
の買出し。芋の皮向き30個、それだでけで嫌になったのに、玉ねぎ30個。
ダイビングのゴーグルをしての玉ねぎ切り、ゴーグルがくもって霞んで来る。
休み休み、後少しと思った瞬間、玉ねぎの上を包丁がすべった。中指に痛み
が走り血がねぎを染めた。血止めをしても簡単に止まらない。私の料理準備
の作業が完全に止まってしまった。妻殿に言われた半分もやっていないのに。

TVを見ながら仕事から帰る「妻様」を待ちながら、言い訳を考えたが、
それより先に「格好つけて、料理なんか引き受けなければよかった」と後悔。
結局、台所をうろうろしながら仕事帰りで疲れている妻様に気を使いながら、
お世辞を並べ、親父の言「男、台所にはいるな!」を思い出していただけ。
深夜まで掛かってデカイ鍋二つ分のカレーと小さな鍋のシュチュウ。
炊いたご飯が釜4回。カレーにはご飯が多目と、不足は困る。
翌朝、Centreに運び、とろ火でゆっくり温め、カレー粉を溶かし、ご飯も
ガスレンジで温め、12時無事昼食。
「トシ、凄く上手かった」お代りも有って、全て売り切れ。
スタッフの全員から「最高の上手さ、ファイブスターホテル以上だ。
洋子(妻の名)に有り難うと言ってくれ」
やっぱりお見通しなのだ。それで良かったのだ。妻殿の料理だったから皆に
喜ばれたのだ。私からも心から有り難う、と皆の感激と共に伝えた。
(妻はここで何回も料理のボランティアをしているので、皆が知っている)
きっとまた、何時の日か料理を引き受け、妻殿に素直に感謝するだろう。
私のボランティアが続いている限り。
材料費は幾らでもないが、我が家からの寄付。
(9月末記)

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