私のボランティアNO55
(第9回 世界盲人ゴルフ選手権大会) 広瀬寿武
この写真は生駒プロと私が担当したブラインドにガイド。
チャリティートーナメントのスタート前の記念撮影。
ボランティアも年齢を考えなければ自分が苦しくなると、つくづく身に沁
みた今回のボランティア。前回も書いたが第9回大会は日本と決まった時
から、役員兼雑用、世話役等諸々は当然の様に私に押付けられた。
オ−ストラリアのブラインドゴルフクラブで日本人ボランティアは私一人
しかいないし、大会会場は日本と言うことで覚悟はしていたが。
4月5日に成田着。気温は予定外の寒さ「おお、寒い」と身を縮めた。
それに小雨が首に吹き込んで、3年振りの日本なのにと恨めしく思った。
横浜までのバスの道すがら、道路脇に咲き残った桜を楽しむ余裕もない。
世界中から大会に参加する人達が集まる頃には、何とか穏やかな春をと祈
りたくなった。
7日から成田のホテルに入って9日まで世界から来る選手達の出迎え。
日時、飛行機便も区々、おまけに顔も知らない、便名と名前が書いてある
プリントだけが頼りの出迎え。だが、ブラインドの選手は容易に解かる。
ブラインドの人の手を引き、キャリ−にゴルフバッグ、時には白い杖。
ボランティア9人程の助けを借りタ−ミナル、時間別に別れ、何とか無事
に全員チェックイン完了。
9日、歓迎ディナ−パ−ティ。
私はオ−ジ−選手、キャディ共で約60人の仲間の一人として紹介された。
これが切っ掛けで「お前は日本人かオ−ジ−か?」世界の仲間から日本人
を見るのと違った感覚で声を掛けて来る。
「オ−ジ−じゃない、カナディアンだ」とカナダの旗の印刷された帽子を
被せると、スコッテシュが透かさずスコットランドの名入りのユニホ−ム
を肩に掛けて私をおもちゃにする。それに続いて満を持していたアメリカ、
ドイツ、ノ−ルウエイと西欧人のはしゃぎを私に乗せる。
この時から私は彼等全員の仲間になり、時には彼等の都合で「お前、日本
人じゃないか、何とかしろよ」と日本人扱いをする。
10日朝、開催地、静岡県沼津市に向かう.ゴルフ場は御殿場と沼津。
大型バス3台、シャトルバス1台。
私は2号車担当、全員オ−ジ−のファミリ−。「コマンダ−トシ」と呼ば
れ助手は駄じゃれの名手、人間味豊かな60代半ばの好人物。
「英語は駄目ですのでよろしく」と初対面に。
これだけ(200人程)の外国人部隊にボランティアはたった5名プラス1名。
英語堪能者3、何とかが1名。その理由はスケジュ−ルの強行軍にある。
7日から17日の解散時迄、彼等に対する世話の責任を、彼等と寝食を共に
しながら物事、精神を助ける。字に書けばこれだけの事だが、先ず、10
日間もホテルに缶詰め状態、それにブラインドに対する経験知識も必要、
ゴルフも出来るか興味の有る人等々、ボランティアはシルバ−年代の人達
が殆ど、何らかの薬を懐にと、無理が出来ぬ。諸事情を合わせ考えると、
「この外人部隊」にボランティアの人が集まらないのも理解できる。
他の大会運営のボランティアは常時100人を越すが、一日でも二日でも
良く、誰でも簡単に出来るボランティアなので、人が余る程集まるのに。
朝5時起床のアラ−ム(ブラインド達は朝のシャワ−、支度等に時間が掛かる)
6.30から朝食。8時出発、9時ゴルフプレ−、スタ−ト。
全員ゲ−ム終了(風呂に入る)を待って夕食のレストランへ。ホテル着9時。
その後打ち合わせ1時間。それからが大変。我がオ−ジ−ファミリ−に加
え、あの仲間達が私の帰りを待っていて、エレベ−タ−前のロビ−で酒盛
りの最中。「トシ、待っていたぞ。何処か飲みに連れて行け!」と団体で
迫る。私も知らない街、ましてや日本の風習も知らない外国の気楽な連中、
夜の巷で面倒が起きれば私が大変。止むを得ずホテルのレセプションで紹
介された沼津の飲み屋へ。車6台で変な、それも図体のでっかい外人、男
女合わせ30人上が扉を開けてぞろぞろ入って、驚いたのは店の方。飲む
事だけに集中する連中を宥め、店のチャ−ジのシスティムを聞き、彼等に
説明をするが、納得せず。店は飲み物、つまみ、席料等々が加算され、想
像以上に高くなる。「つまみはいらない」「カウンタ−で飲むから席料は
払わない」「飲み物だけ先に払う」「ホステスのサ−ビスはいらない」
西欧のパブでは当たり前だが、日本での複雑なシスティムは説明しても無
駄と判断した私は、幸い他の客もまばらだったので、支配人に「外国から
来た盲人達」私の必死な(装った)頼みで同情を買い、一人¥1000、私が
ウイスキ−(安値に値切り)を一本寄付して、さっさと引き上げる算段を
した、が、ブラインドとガイドの「のんべ−」を連れ帰るのは至難の技。
結局、1時間半、プラス追加料金。
部屋でほっとした一番は「問題なく連れ帰って良かった」
しかし、ボランティアの私「ここまでするのかな?」と疑問が湧くが。
彼等は私を仲間と思っている。仲間の一人がたまたま日本人だから頼る。
それだけのことなのだが。
ホテルの側に有る¥100ショップ。英国のポンド、米$等から比べると、
非常に安い。それより安いのは私の名前「トシ、トシ」100人ものファミリ−
の買物の付き添い、数人のつもりが大勢付いて来たので、あっちこっちから
私の名前は大安売り。しまいに店のレジからも「トシさん」と助けを求め
ての呼び出し。礼に菓子、飴を貰ったがバスの中で我がファミリ−に配る。
ブラインドゴルフ選手権大会は11〜13日の三日間、この大会中、ブラインド
ゴルフの普及、振興を目的に「第二回ワ−ルドシニアゴルフレディ−ス
オ−プン選手権」とブラインドゴルファ−と振興を深めるチャリティ−
ト−ナメントが行われた。外国からはジェ−ンブラロック、パットブラドリ−、
ジョアンカ−ナ−、パティシ−ハン、サリ−リトル( アフリカ)、スティブソン
(オ-ストラリア)と十数名、日本からは女子プロ会長の樋口、森口、生駒、島袋、
永田、黄(台湾)他のプロ達がブラインドゴルファ−共にト−ナメントを楽し
んだ。
この間を縫って箱根の観光、バスにはうぐいす嬢が居ないので私の役。
およそ彼等には理解できない観光案内。十年前の様子とは全く様変わりし
た箱根のコ−ス、ガラスの森、美術館等「視覚障害者を案内するコ−スか」
狭く込み合う店内を買物する折にはガイド達も自分の買物に集中してしま
い、付き添う我々ボランティアの気苦労が増しストレスが溜まる。
一号車に同乗した旅行社の係も「視覚障害者」の現状を理解出来ていない。
結局ボランティア達(6名)の精神的、肉体的な苦労が積み重なる。
温泉、クラブの浴室等に入る時はブラインドにガイドが付き添うので、
私達の最高の休息時。
ゴルフ場における昼食は大会関係者の仕事だが、毎日の夕食は殆ど外食。
200人近くの外国人を連れて各種レストランでの外食は、そんな事に全く
経験ない私には面白く、食べる楽しさを十分に味わった。毎日毎回良く
食べ、良く飲んだ。気疲れに倍して食い疲れ、飲み疲れ。
七十歳のひび割れ怠慢な人間の私。神経、老体の疲労に、食い飲みの疲労。
終わって、19〜21日の三日間、弘前の温泉に漬かって考えた。
色々な違った疲労が重なったボランティアだったが、世界の仲間を成田で
送り出す別れ際「トシ、グッドジョブに感謝する。有り難う」「メ−ルす
るよ」「写真送るよ」「地球の何処かで又、きっと会おう」
お互い別れの熱さを隠さず、手を握り、抱き合い、頬を寄せて手を振った。
仲間の顔を思い出し「みんな喜んでくれて良かった」と思う。
しかし、気力体力も考えないで、オ−ストラリアから態々ボランティアに
出掛けて行く馬鹿さ加減。最早、冒険の限界は過ぎていると自分でも感じ
る。ボランティアに出掛け人に迷惑を掛けては何にもならない。
でも、ボランティアをして自分の心に熱さと豊かさが、いつも重なり溜ま
るから、やっぱりボランティアを続けるだろうな。
今回の私のボランティアを外人記者が興味を持って、新聞の記事にした。
「The Japan Times」
Saturday,May,13,2006(5月13日土曜日)発売。
余りの大きな記事欄で些か恥ずかしいが、日本の色々な人から反響が有っ
てブラインドゴルフに貢献したと思っている。
ブラインドの観光案内の一こま
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