私のボランティア「NO.50」
(星に祈った私の返礼) 広瀬寿武
「NO.50」.漫筆の散歩もこんなに遠くまで来てしまったかと、
肘を付いた掌に頬を乗せ、窓の花壇に見るでもなく目を移す.
又、新しい鉢が幾つか増え、その一つに白い百合が咲き始めた.
赤や黄色の可愛い蕾の様な花が回りの大小の鉢に溢れ咲いている.
鉢の数や花の色の変化に感慨を深く留めた事が無いのに
「NO.50」の年月と意味も無く重なる.
「私のボランティアもまだ続くのかなア−」と人事の様にふわ−っと頭を過る.
だが長かったとも短いかったとも特に感じることはない.
長いとか短いとか、続くか続かないかと思う間も無く、
ボランティアの日が勝手にやって来る.
「それだけのことよ!50回めの漫筆とて、ただの50回」
そして51回目もその次も、淡々と続き過ぎて行くのだろう.
11月に毎年行なわれるWRC(世界ラリ−選手権)ラリ−オ−ストラリア2005
のボランティアでの経験は、新鮮な感動を素直に表現出来た.
TV、VTR等では知っているつもりの情景だが、間近にエンジン音、
メカの機敏な動きを体感すると、秒速の世界の刺激の中に引き込まれてしまう.
彼等が病み付きになる根源をふと、垣間見た気がしたが、
私の腹を抉ったのは、物好きなのか気違いなのか、
この危険な競技一筋に命を掛ける女性ドライバ−との出会い.
ブラインドゴルフでお世話になったK女史の依頼で、
返礼のつもりで簡単に「筆談通訳」の意味も解せず引き受けたボランティア.
そうです!女性ドライバ−、彼女は聴覚障害者.両耳が聞こえないのです.
ラリ−は二人一組のチ−ムプレイ.ドライバ−とコドライバ−.
コドライバ−はドライバ−の隣でマイクとレシ−バ−を繋ぎ、
一瞬一瞬に変化する道路状況や運転に欠かせない情報を、
瞬時に正確に伝える命綱の役.
互いの信頼感が競技を左右する.そして命をも預け合う.
自分の視覚を集中させ経験の全てを出し切ってハンドルを握る彼女に、
コドライバ−はどの様にプロの仕事をするのだろうか.
驚くことに、彼女がコドライバ−と始めて会ったのは競技の始まる数日前.
(彼女のコドライバ−は都合がつかず、急きょ変更)
夜の10時過ぎ、けたたましいエンジン音を誇らしげに響かせ、
我々の待つメカのピットに入ってきた二人の乗るラリ−カ−.
あの派手なつなぎ服の肩に長い黒髪、あの帽子の鍔の下からの微笑に
緊張感から開放された一瞬、女性の柔らかさが滲んでいた.
だが、ゆっくりと芝を踏むコドライバ−の顔は対照的に固く重い.
彼女と色々話をしている内にコドライバ−の顔色が優れない分けが理解出来た.
「ゆっくり走っている時コドライバ−に余裕が有ったけど、
私が慣れて来てペ−スがどんどん上がって来て、彼は着いてくるのが大変になり、
心が疲れたのか、怒りっぽくなってしまった」
このことを口止めされたが、それとなく彼に「恐くなかったか?」と.
「お前の想像に任すよ」ぶっきらぼうに、そして吐き捨てる様に.
一瞬のスピ−ドと隣合せの危険状態を我慢して耐えながら、
無事今日の一日を完走した、完走させたプロの意地が十分過ぎるほど感じられた.
スピ−ドと安全、どちらも大切な条件.
だがこのスピ−ド競技、スピ−ドが無ければ魅力が無い.
彼女は物好きでも気違いでもない.
聴覚障害と言うハンディ(健常者側の見方)を持ちながら
生きる夢に立ち向かう勇気と冒険.
冒険は人間力(経験、知識、度胸等々)が備わっていなければ
冒険とは言わない.ただの無茶無謀.
彼女の冒険には底力と想像出来ない勇気感が有ると感じた.
それを私の感動としてワイフ伝え、ワイフもまた同じ感動を共有したのか、
彼女に届けてくれと飯を炊き「にぎり」にして夢を称えた.
夜が深け12時を過ぎた頃、娘と共のボランティアが終わり、
瞬く星に快い親しみを覚え「彼女が無事で元気に夢に向かって行けますように」と
祈った.それは私が彼女からもらった「夢と冒険」への情熱心の返礼でもある.
「お父さん、楽しかったね.同じやるなら楽しんでやらなきゃ」
私も娘も楽しんだ心豊かなボランティア.
でも一つ、トンでもない事が分かり苦笑悲観の連続.
筆談.咄嗟に考える余裕もなく字に表わし通訳するのだが、
何と普段、常時、目にして読んでいる漢字が出てこない.
もう10年以上パソコンが私のペン代わり、勝手に漢字に変換してくれる
ので簡単な小学生クラスの漢字まで戸惑う.
益々、パソコンのお世話にならなければ字が書けなくなる.困ったものだ
が、パソコン様様.貴方に罪は無いよ!
ボランティア日記TOPに戻る
|