私のボランティア NO5 広瀬寿武
二年振りで日本へ行った妻が,約一カ月我が家を留守にした.
冬場の雨季,残されたランス(コリ−犬)プ−ス(三毛猫)娘(大学三年)と私は,
日本でさぞや美味なものをたらふく食べ,温泉にでも入って楽しさを満喫しているだろう妻を羨み,
さて今夜は何を食べようかと頭を悩ませる日々が続き,挙げ句の果てtake awayかインスタント食,
飽きると外食.それでも三食となると,台所は食器の山.
使う食器や鍋に事欠くと,山の中から引っ張り出し,それだけ洗って間に合わす.
人間が不精だから犬猫に手が回るまで時間が掛かる.
二人?で様子を伺い「まだかいな」と私の動きに目を離さない.
洗濯物となると,山が二山三山と増える一方.
娘が試験を控え大学の図書館での勉強?が深夜まで・・帰りが遅い.
私はこの年になるまで洗濯機に手を触れた事が無いが,見るに見かねてスイッチを入れると,
変な音がする.我が家では私が機械物に触れると壊れると言うジンクスが有り恐くなり娘の帰りを待つ.
「着替えが無くなったよ」「解かった,明日の朝,干して」
空模様が怪しい・・どうしよう・・.
ロバ−トからゴルフの誘い.帰ると日暮れ,明日の予報はファイン.
ブレッドからゴルフの誘い,朝八時スタ−ト.洗濯物を干すなんて頭の外.帰ると又洗濯物が増える.
タンスを掻き混ぜ新品を捜し,爽やかな気持ちで二日間のボランティア.
あっと言う間に二週間が過ぎると家中はゴミの山.山を跨いで寝起きをする.
使用済みの食器,洗濯物,ゴミと有り難くない山ばかり.
ランスと散歩をしながら「ボランティアでも募集するか,その方がお前も安心して餌にありつけるだろう」
「わん わん」「我慢するか?お母さんの有り難みが解かったか?」
私はボランティアと名付けて行動をしているが,妻の日々の行動は家族の為とは言え,
正にボランティアの精神そのものではないか.
無償奉仕を原則とするボランティア.妻は何か代償を期待しているのだろうか.
いるとしたら,それは家族愛,家族は無言の感謝.
その繋がりに特別な形な無いが,源流から湧き出る愛は確かな家族を築く.
ボランティアとは・・「無意識の愛」の形,無意識な人間愛の無意識な表現.
どこの家でも「家族なら当たり前ではないか」家族が家族愛で繋がっているのと同じ様に
人間は人間愛で結ばれているとしたら!
私のボランティアは,毎週毎週,義務と責任を背負い,
この二年間に何度潰されそうになったか知れない.
だが朝,目が覚めると支度を整え気持ちを引き締め爽やかに出勤?する.
楽しいいかと言う自問に答える馬鹿馬鹿しさ.
CF(Cancer Foundtion)のレセプションには私の来るのを待っている患者.
苦痛を我慢して「トシ,おはよう」
声を掛けられると「病院まで無事に連れていこう,我慢して!」私の心がそう叫ぶ.
ロイヤルパ−ス ホスピタルの自動ドアが開いた瞬間「よかった!」
義務,責任なんて字面だ.唯々「ああ,よかった」と一安心.
それも束の間,次の客?が待つ病院へ急ぐ.
何が起こりどんな事態になるか予想のつかない緊張の連続.
全てが終わりレセプションで事務処理「おわった!」両手を上げ天に叫ぶ.
担当する患者を無事に送り迎えが出来た安心は,自分に対する純粋な喜び.
O’C(O’Connor centre)には早朝から精神状態がほぼ安定した彼等が
勝手な動きをしている.
私を見てそれぞれに声を掛ける「おはよう」「こんにちは」「モ−ニングティは・・」
「今日は何をする」じろっと見る者,それとなく目を向け俯く者,でも皆私を受け入れている.
「今日も来て良かった,さあ,始まりだ」
モ−ニングティ,プ−ルゲ−ム,話相手になりながら二三十人分の昼食の支度,忙しい一日.
三時過ぎ,彼等は満足したのかしないのか,ぽちぽちと姿を消して行く.
がらんとした館内で片づけが終わった瞬間と,自分が満足した瞬間が重なる.
CF,もO’Cでも無償のボランティアに代償を求めてはいない.
だがこのボランティアは私に貴重な代償を惜しみなく与えてくれる.
移民の国を特徴付ける,多くの民族で人間社会を構成しているオ−ストラリア.
正に人類の中の人間愛,私は無意識の内に人間愛の坩堝に身を置き,
様々な興奮に私なりの情熱を見つけた.
或る人が「広瀬さんの様にはいかないが,私も私なりのボランティアを始めた」と.
ボランティアに価値の差別は存在しない.自分の出来る事を人の為に役立て,代償を求めず,
自分が楽しければ良いのではないか.人のボランティアと比較する事は無意味だと思う.
それぞれの家庭で妻達のボランティアが多様で有る様に!
(toshiyoko@hotmail.com)
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