私のボランティア NO45
(甘え.amae) 広瀬寿武
長雨が夜と無く昼と無く続く.私の惚けた記憶の中にもこんな経験は無い.
新聞に因ると三十年振りの現象だそうだ.雨、雨量は必要だ.夏期の約半
年間、一滴も降らない乾燥状態を思うと有り難い事なのだが、人間とは自
分の都合に合わせて感情を弄ぶ.
「ああ、雨ばかり降って、気持ちが欝積しちゃうわ」
理屈はどう有れ、日常の行動が制約され我儘な欲求不満が溜まるのも仕方
のない事なのかと、空を恨めしく仰ぐ.
O'Cのメンバ−達の殆どは雨具、傘すら持たない.バスを乗り継いで来る人
はまだ良いが、雨の中を濡れながら歩いて来る人もかなり居る.
頭から雫が垂れ、上着が重く濡れて居るのを見ると、風を引かないか心配
になり、タオルで拭いてあげたり、濡れている着物を暖房の前で乾かして
やる.悪天候の中センタ−に何かを求めて来るメンバ−の気持ちを思うと、
何となく手を貸したくなる.精神障害と言う病を抱え、気持ちの通じ合う
人達と憩う場所へ濡れるのも厭わず、一人二人と集まって来る.
OC'は人間社会のシステムとして世の中に本当に必要な所なんだと、改め
て思ったりする.長年関わって居るのに今更何よと首を傾げる様な事は私
のボランティアの中では日常茶飯事.自分自身に絶えず言い聞かせていな
いと、気持ちが怠慢になり、時には陳腐な奢りが支配権行使して、鼻持ち
ならない我が心を感じる.
「ああ、嫌な人間!」と我が心を責めないで「私のボランティア」を楽し
めれば良いのだが、未熟さは永遠に付き纏う.
モ−ニングティと言うか、出したパンとティ、ゲ−ム(トランプ、プ−ル
等)雑談、音楽を聞く、新聞を読む、ふらふら動き続ける、じっと無言で
人の様子を見る、夫々様々な様相をもう何年も見慣れ、私自身の無意識の
心情もその雰囲気に浸して来た.
あまり物事を考えないで、目に写り、気がついた方向に身体が動き、言葉
を交わす.昼食の支度から後片づけ、メンバ−の些細な事まで気になり手
助けをしてしまう.
ある日のミ−ティング.
「トシのボランティアは素晴らしい.全員(ワ−カ−、メンバ−)が感謝
している.長く続けてほしいと願っている」
本音なのか煽てなのか、まあ、悪い気はしないと、頭を掻いた途端
「我々はメンバ−達が現状の状態から早く回復して、自立出来る様に手助
けをしている.だが、トシの親切心や気遣いは理解出来るが、あまり何か
何まで行き届き過ぎると、メンバ−達が頼り過ぎ、怠慢や甘えが生じる.
自立の妨げにも成りかねない.自立出来ないと彼等が不幸だ」
言わんとする事は十分過ぎるほど理解出来る.
私だって「そんな事は自分でやれよ!」と良く思うのだが、見ていると
焦れったくて身体が動いてしまい、どうにも仕様が無い.
これは「甘え」を「受け与える」人生の規範が原因で、私の責任では無い
様な気がすると、言い訳が頭の中を回転するが、気をつけなくてはならな
い忠告.
ここオ−ストラリアの社会の中に生活の基盤を根づかせてみると「自立」
と「甘え」ついて、私、一般的に日本人と欧米人とは相対的に思える.
オ−ストラリア人、欧米人の「自立」は生活の深くまで行き渡っているの
ではないかと感じる.対比してみると日本人の「甘え」は又凄い.
街中で楽器を奏でながら人々の金銭援助を求めている若者、子供達を良く
見かける.
「他州の演奏会に出る資金が不足しているので、協力をお願いします」
書いた紙がケ−スの中に有る.(如何わしい奴も居るが)
私は或る時、協力を申し出て彼女の住所を聞いて小切手を持ち訪ねた.
見晴らしの良い、凄い豪邸の応接間で、出されたお茶に手も付けず、小さ
くなって、我が身の無知さに寒さを覚えた.
娘の友達がUNの学生時代、ガ−ディニングやベビ−シッタ−をして旅行
にいく資金を作る為に働いた.両親は弁護士と医者、川辺の高台に住む
millionaire.娘と仲が良いため内情は良く知っている.
これは一つの例だが、どんな裕福な家庭でも「働く事が出来る(許される)
年齢になったら、欲しいもの、したいことが有ったら自分で働いて、自分
の責任でやれ!」と言う教育が規範となって、当たり前化している.一定
の年齢になれば親の家を出る.親が金持ちで有ろうが無かろうが、社会人
になっても親元に寄生している若者は居ないのではないだろうか.
日本の歴史的、環境的等、様々な理由は有ろうが、へ理屈を十分に並べる
事の出来る社会人的若者が持つ「甘え」を欧米人の「自立」と比べると面
白い.
これは日本人が「劣っている」とか、欧米人が「秀でている」或いは「是」
か「非」かと言う事ではない.
土居健郎(どいたけお.精神分析理論)の「甘えの構造」は自立と甘えを
対比して分かり安く組み立てているのを、うる覚えだが思い出す.
欧米人の家庭は子供の寝室が親とは別.日本では親子が川の字になって
寝る.
成人するまでは、社会人になるまでは、結婚するまでは、と、親の教育、
監視、庇護が必要な日本人が、モンゴロイドの幼い(柔軟)脳の状態を大
人になるぎりぎりまで保のは、至極、道理にかなっているそうだ.
動物学的には、モンゴロイド(黄色人種)の脳は「甘え」によって育まれ
る構造になっている.進化形態が生まれた理由として、モンゴロイドが発
祥した厳しい環境では、成人してからも環境に対応する柔軟な脳が必要と
されたそうだ.
モンゴロイドの血統そのものの親から育てられた私が「甘え」の脳を持っ
ていたからと言われても、至極、当然の事ではないかと、こんな理論が成
り立つ、と言うより、こじつけかも知れないが.
忠告を不当と思った訳ではない.甘えが正当な行為の延長上に有ると、へ
理屈を言う気も無い.だが、自分の「甘え」の根源を覗いてみたら、我が
身の現実がくっきり浮かび上がって見える.
私も子供を持つ親.育てた時の流れを振り返ると、欧米人の「自立」に対
して私(日本人)、特に妻(母性)の「甘さ」を痛感する.
狭い住環境の中、知恵を絞り、我慢を美徳として、子供達に個室を与え、
頭で分かっていながら腹の中で遠慮するのか、叱責や拳骨による厳しい躾
を放棄して放任に変えてしまう.形だけの「擬似自立」を押しつけ、親の
責任を主張して見せる.その反面、子供の顔色に合わせ、何でも欲しがる
物を買い与える.生長が完了するまで庇護して厳しく躾をする事が必要な
親の責任を誤魔化して、ただの「甘え」だけを子供の心に植えつける.
その子供がやがて親になるとしたら、モンゴロイドの幼稚な脳がそのまま
受け継がれ、永遠に幼稚な脳は生長しないで終わってしまう.
OC'での忠告が私の日本人(モンゴロイド)と言う民族の根源的な心理まで
遡ってしまったが、私の中途半端な頭で収拾が出来る様な、単純な事では
ないらしい事が薄々分かって来た.
一方、Blindのボランティアでは日本人的「甘え」の心理が、賞(award)を
受けた原因でもある.
全盲、片耳難聴のMが私の腕をがっちり掴み、しがみつく力は甘えと信頼
感が漲る.私の心はその甘えを何倍にも膨らまして伝え返す.
冠った帽子の曲がりを直す(Mにとっては帽子の様なんかどうでも良いの
だろうが)、トイレで(前から覗く訳にはいかないが)便器の位置を確認
し、ぎりぎりの所に立たせ、終わるのを待ち、手を洗わせ手拭きの紙を渡
す.ズボンから出たシャツの裾を、着直すのを手伝う.スパイクの紐を結
んでと、細々と気遣う事が山ほど有る.ゴルフのスタ−トまでに私の頭と
体はフル回転.プレイが終わるまでは、私とMとの心の合体と心の会話.
人が見ている、見ていないなんか意識しないが、何処かで誰かが私達を見
ていたのだろう.
日本人的心理「甘えを受け与える」姿に微笑みと、豊かさと、温かさを感
じたと、コミッティの全員の推薦で賞を受けた.全く予想外の出来事.
OC'の忠告も、賞を受けた事も同じ「私のボランティア」
言い訳にへ理屈を捻り回すのも私の根性、賞を受け感激を露にするのも私
の根性.
私の子供の頃は、根性、根性と、根性さえ備われば世の中恐いものなしと、
勘違いするほど、叩き込まれた.だが、世の風潮が変われば甘えが罷り通
る.私のボランティアの中でも右に左にと渦を巻く.
OC 精神障害者をサポ−トするディケヤセンタ−.
福祉法人
amae 「甘え」の普遍的な心理学用語
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