私のボランティアNO44
(ペルソナ野郎の苦痛) 広瀬寿武
人間、特に私のずぼらな性格でも有るのだが、とことんレイジ−を決め
込む事が出来るものだと、我ながら呆れてしまう.
年齢のせいにする訳ではないが、朝の目覚めがはっきりせず、いや、意識
を故意に怠惰感の中に押し込み「ぼ−と」何の繋がりもない映像が、腐れ
脳の隙間を埋めるを、ただ、時の流れに任せる.
起き上がるのも面倒、朝食の味にも、箸の上げ下ろし、たくわんの噛む音
と朝の生活の音色にも無感動.何となく移動して何となくTVのチャンネ
ルを変える.FoxTVの幾つ有るのか分からないチャンネルと付き合う
こと九時間、私一人の家の中、昼飯どころか、飲まず食わず.
トイレには行ったっけかな、と、思い出せない.
五時「ただいま!」勤め帰りの妻に「おかえり」と無気力な返事を返す.
「一日中、TVを見ていたの?」「うん」「馬っ鹿みたい」
立ち上がった瞬間、腰と背中に痛みが走ったが、帰る早々小まめに家事を
する妻に苦痛の表情は見せられない.私を養う良妻への気遣い.???
一日中、レイジ−でいるのも疲れる.何にもしたくない気持ちに違和感は
無いが、精神的な満足感も無い.
その日の目覚めは毎週三日続くボランティアへ行く習慣に、脳と身体と意
識が勝手に対応して、苦も楽も無い.レイジ−を続けている方が楽かと思
うのだが、習慣的に対応する脳の命令に従うのも、以外に安心出来るのを
知る.
そして安心感の中に無意識に精神的機能を逃避させてしまう.
私自身の精神の崩壊を防ぐために、レイジ−な方向への転換であったり、
逃避に形を変えて隠蔽をする.他の動物が有しない面倒臭く複雑な精神は
私にとって最大の弱点で有り、その日の思考、行動を決める以前の問題で
も有る.だから、常に脆く、不安定な精神を崩れないように保てるほど、
完成された私ではないから困る事だらけ.自分の都合、気分次第の精神状
態をどうしたものかと悩む.だが、フロイトや彼の三女のアンナ・フロイ
トが体系化した「自我防衛機制」とやらの「無意識の精神防衛機能」によ
り、困り悩み状態は何とかコントロ−ルされているので、習慣的に反応す
るボランティアも今の所、無事こなせているのは幸いな事だ.
精々、精神がショ−トして崩壊しないための回路遮断システムが働く間は
「私のボランティア」も私なりに頑張ろうと、いい加減に気持ちを動かす
私.
それぞれのボランティア団体はこんな「いい加減」にボランティアに従事
する私の精神状態を手に取る様に弄ぶ?
Blind AssociationのMeetingで2004年度 Best Caddy Awardを受け、
八十数人いるキャディの中からただ一人選ばれて、メダルを首に掛けられ
ブロンズを渡された時の心理現象に「ペルソナ」の幻想が重なった.
「ペルソナ」とはギリシャの古典劇で使われた仮面.
(心理学者ユングは「人はみんな仮面を付けて生きている」
こうした状態の心理現象を「ペルソナ」と名付けた.)
要するに私の心理状態は「よそいきの顔」
「プライド」が50%、「粋がり」が50%
「本当はもう、いい加減、疲れたし、飽きて来たので止めようか」との本
心と素顔は腹の底の底に隠して受賞の挨拶
「これからもブラインドの皆様の為に、この賞に恥じないよう頑張ります」
デュマの小説「鉄仮面」の様に仮面が取れなくなる、つまり体裁や自己満足
の、その防衛の為に仮面が自分そのものになってしまい、自己喪失を招いて
しまうのではないかと.
「そこまでして私のボランティアを続けるのか!このペルソナ野郎!」
「私のボランティア」に従事している時間体の心理、精神状態をユングや
フロイトはどのように分析するだろうか?
レイジ−に腐った脳でも無意識に働いているように感じる.
仮面の下の顔には全く意識をしない.よそいきの顔なのか、素顔なのか.
ただ、第三の顔が無心に注意深く、その時間体に没頭する.
習慣的な「よそいき」行為なのか.
「体裁」と言う「よそいき」の奉仕心なのか.
字にすると理屈で有ろうがへ理屈で有ろうが、切りが無くマスを埋める.
だが、明日もまた「私のボランティア」に出かける現実は待っている.
「ペルソナ」その心理現象なんか「糞食らえ!」だ.
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