私のボランティアNO42
(ボランティアと私の関係) 広瀬寿武
「何故、ボランティアをしているのか?」
この質問を真剣に考えた事は無いし、考えた所で自分を納得させる答えな
んか見つからないだろうと思っている.質問に対してこじつけの様な答え
を作っても本心からはほど遠くなる.以前にも書いたが「ひょんな気持ち
の悪戯から始まって、今、尚、何となく続いている」のが現状.
「何故・・・?」と言うより「私とボランティアの関係」を考える方が、
私自身を楽しくする.
日本で生まれ育ち生活の基盤を造り、日本人文化一色の脳と肉体しか持た
ない私達家族が、何の繋がりもないオ−ストラリアを永遠の生きる地と定
め、生活と言う種を蒔き、無事に育つ試みを始めた.
小学生の子供二人、八十歳の母親を伴って.外国の経験は旅行での外見だ
け.五十年近く過ごした日本ですらままならないのに、無茶だと言えばそ
の一言に尽きる.だが、来てしまった.さてどうするか、と考え込んだり、
迷ったりしているしている暇は無い.学校は始まるし、母の通院の支度と
待った無しの日々の戦争が過熱する.その中で私と妻が真っ先に考え、一
番重要だと切実に思った事は「この国を知ること」.ここでの生き甲斐有
る人生を過ごすには「知る」事にエネルギ−使わなくてはならない.
先ずネックである言葉の問題.州の運営する英語学校へ妻は十年、私は
五年.五十を過ぎてからの勉強は苦有るのみ.だが、異国の有らゆる文化
を理解する為の原点と考え老骨、半ぼけの頭に鞭打つ.
文化が違えば価値観も大きく違う.日本の常識を振り回しても理解されぬ
ばかりか、笑いの種.私達がこの国の価値観、文化等、全てを理解する努
力をしてやっと、当地での本当の生き甲斐を感じる様になって来た.
「英語が分かんなくても、生活に不自由しないよ」最近来ている日本人の
言葉.ドライブをするには地図を見れば良い.買い物、食事に行くのも簡
単.私達とは人間の出来が違うのか、優秀で才能が有る人達.羨ましい限
りだ.私達はそんな力が無いので人の何倍も努力しなければならない.
地区の生活環境を守る為のコミュニティでのミ−ティング、やがてはロ−カ
ル選挙の資料作り、英語を共通語とする色々な団体への参加、彼等との海
外旅行、近所、隣との茶会パ−ティ、子供の友人の親達 やPTAとの付き
合い、努力に限界は無い.それでも五十年間、日本での生活文化の営みと
同じに近づくのは不可能.子供達は一日中、英語の世界.思考もオ−ジ−
的.遅れを取るのは私.不可能は永遠に不可能なままだが、無能な私の努
力でもしないより増しだ.
その中の一つに「私のボランティア」が有る.ましてや間違って選んでし
まったとは言え、四つとも医療系.嫌が上にも人間の細部、生活の裏側が
見えて、生活文化、価値観の違いの面白さを教えられる.
Blindのボランティアで、私が担当するMは聞こえる方の耳を私に向けて、
政府の予算の配分にまで自分の意見をはっきり言う.
「トシ、理解出来たらら、今度のデモに私の手を引いて、一緒に参加して
くれないか?」「OK、返事は来週でも良いか?」
それからインタ−ネット、図書館で数日前の新聞を探して必死の勉強.
精神障害者のサポ−トセンタ−(O'C)でも、彼等は暇潰しに新聞の隅々まで、
ネットの情報も検索する.社会情勢に精通していて、私に話掛ける.
Mercy Careのどでかい組織(病院、老人ケアホ−ム、学校、宗教法人、食
堂、売店等々、その他多くの事業所を運営)の中には働く人、ケアを受け
る人、しかも多国籍、多人種が共に事業体を支えている.街中では当たり
前の日常光景.見て居ることには別に違和感は無い.が、ここの中に深く
関わると、私の血肉になっている日本人感覚との違いに困惑する.私が勝
手に困惑したところで、オ−ストラリア社会の方では「知った事では無い」
私の方から「おべっか」を使ってでも溶け込んで、馴染んで行かなければ
「使い物」にならない.それでも異文化、価値観の違いは日本人として培
養された私の血肉と入れ代わる事は無い.だから困り苦労する.
だが、ボランティアと言う行為は思考以前に、肉体の中を縦横に走る神経
を刺激して「使い物」になる「私人間」を仕立てようとする.その流れの
中で異文化も価値観の違いにも理解出来る様な顔をしながら、面白、可笑
しく馴染んで行くと、何時の間にか社会の方から私に近づいている.
生活文化は限りなく奥深いが、その少しづつが私の惚け腐りかけた脳味噌
と老体を開発して、楽しさが日々増す.
ボランティアに関係していなかったら、折角来たこの国、来てしまったこ
の国に、私の貧困な能力では馴染む事は無かったか、もっともっと長い時
間が掛かったかも知れない.
考え様によっては、多くの人が持ち合わせている有能な能力を、私には乏
しく欠けて居たことが幸いした様に思う.
「お前は馬鹿だからナ」人の言う言葉も意味深く、真実だと悟り、知る日
本人が、こんな私を似非人間とけなしているのも又、良く理解できる.
共に同じ時間を共有し、影響し合うと言えば耳障りは良いが、教えられた
事の方が遙に多い.長い年月、毎週毎週、続けて来た「ご褒美」かも.
結局は、ボランティアが私を助け、私に素晴らしい影響を与え続けている
と思うと、感謝を忘れてはならない.
「ありがとう」が、これからも続けるエネルギ−に変わる.
明日はO’Cのメンバ−をテンピンボ−リングに連れて行く.
「ひょんな切っ掛けで始まった、私のボランティア」との関係の一部.
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