私のボランティア NO41
 (上機嫌で、楽しく)    広瀬寿武
 
 津波の被害が日を追うごとに明らかになると、現状の悲惨さは言葉に尽
くせない.その惨状を知った世界中の人達が「援助、救助」と言う目的の
ために立ち上がった.
地球上の一員として「出来ることをしないでは居られない」と言う気持ち
が大きく膨らんで現地に届き、徐々に役立ちつつ有る.
私の所属するボランティア団体等、Muslim社会、Sri lankaのコミュニティ
でも、援助金、物資を集めるボランティアが忙しく、暇だと思われている
私に招集のための召集が掛かり、それらの会の梯子をしながら、多くの人
達の温かく優しい心に触れ、私の胸を熱くした.

「お父さん、私の貯金、ぜ−んぶ寄付するよ」
「有り難いけど、お前、無くなると困らないか」
「そりゃ−ちょっとネ、被災者達を気の毒と思うだけでは何の助けにもな
らないでしょう.特に子供達の映像を見ていると、何かをしなければと思
うけど、私の出来ることはお金を寄付することと、ボランティアに参加す
ることぐらいしかないの.少しでも助けになり、役に立つのなら、私の全
預金なんて惜しくはないよ」
浪費が趣味みたいな娘が、やっと貯めた阡数百ドルの寄付金.
「さあ、明日から無駄遣いは止めて、また、貯めよ−と」
さぞや寂しかろうと思ったのは私の詰らぬ親心.
妻は「被災者を援助出来る側にいて、幸せよ」とレッドクロス、ユニセフ
他数カ所に、娘の気持ちを無駄にしないように協力をした.  

mass mediaの力は人々の善意を大きく結集する.
通常、寄付集めは労力、気力共に大変なエネルギ−が必要だが、お陰で私
のボランティアも苦労知らず.善意が何時の間にか山になり感激も大山.
心が示し、示されたボランティア.
小さな子供の掌の中の1$、老人が寄せる5$.ボランティアの心の実行 
が被災者の生きる助けになる.
出来る人が出来ることをする.ボランティアの原点.

「人は皆、助け合って生きて行かなければならない」と美辞麗句を聖人面
して言う人が居るが、誰もが解かり切っている戯言.
あっと言う間に、人々の善意が山積みになり、地球上の仲間を救い、共に
生きる力を伝え様と心が結集される.   

ボランティア活動を通じて見も知らない多くの優しい人々に触れ、共に地
球上の一員であることを意識出来るのは、楽しい限りだ.
こんな時に「楽しい」と言う言葉を使うのは不謹慎だと叱咤されそうだが、
自分の心を実行をする中での葛藤は常に蠢いている.
どうして、こんな寄付集めをしているのだろうか?
本当に、真心を持ってボランティアの実行、活動をしているのか?
偽善や自分へのまやかしは?
凡凡人にも至らない私の腹の中では永遠に解決出来ない、蠢き.
それに対抗してなのか、何時も何処かで「楽しさ、楽しい気持ち」を見つ
け、自分の気持ちを「楽しさ」に向けて盛り上げているのかもしれない.
私にとって「楽しく」「愉快」で「豊か」な時間はボランティアではない.
ボランティア活動は私の楽しい時間の一部にもなっていない.
だが、それでもボランティア活動を週3〜4日、五年を越す年月、来る週
も来る週も続けている.
じゃ、止めれば良いじゃないか.何故、続けているのか?
自分のへ理屈にへ理屈で答えた所で楽しく笑えない.
私の天邪鬼に立ち向かう強い仏が、腹の中で命令している.
「どうせ、やるのなら、上機嫌で、楽しく、やれ!」

或る団体から派遣され、ス−パ−の片隅でボランティア仲間と二人での
募金集め.
なが−い、なが−い一日.
「上機嫌で、楽しく!」出来損ないの私にとって、簡単なことではない.
表面上の顔と腹の中は、やっぱり、違う.
飽きて、欠伸の連発.何度も時計を見るが、一寸も時間が進まない.
だが私の顔を見て、1$か5$か迷いながら5$をカンに差し込んでくれ
た時には「Thank you very very much」の言葉が腹の底から湧いて出る.
私の為ではないのに、嬉しく有り難い気持ちで満たされる.
「上機嫌で、楽しい」一瞬が何度も何度も!
何度、握手の温もりを感じただろうか.
「この温もりを早く被災地に届けたい!」

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