私のボランティアNO40
(ボランティアとは意味深?)   広瀬寿武

11月の中旬を過ぎると、各ボランティア団体、その上部組織は、年度末
及びX'masの行事に向け忙しなくなり、日本の年末を思わせる.  
プライベ−トで、我が家に於てもこの時期、大きな年中行事の一部が集中
する.この地に生活の根を置いて16年、私の我儘で、いや、妻の嗜好?
も有って、日本様式の生活情景を楽しむ事に 「エネルギ−」を使う.
私達家族の友人の多くは英語を共通語とする人達で文化も宗教も、勿論、
主義思考も全く異なるが、それ故に未知への好奇心的興味と楽しさが大き
く、家族全員(妻と娘だが)脳天気で馬鹿な性格がプラスして、積極的に
交わる.だが、盆と正月は私達と心豊かに騒ぐ、はしゃぐ、語る、飲む、
食う、日本の情景を忍ぶ日本の友人を招き「集まって来る」.
集合する沢山の友人達のエネルギ−が、日本文化の奥深さ?を演出する.
35〜40度の気温の中、エアコンを利かせ、正月料理を作り、何枚も餅
を搗く.しかし、何年も住んでいると何時の間にか飛び込んで来た行事が、
恒例になったものも幾つか有る.
その一つに、南極へ観測隊員、物資を運ぶ砕氷船「しらせ」が入港し、
海上自衛隊員、観測隊員達を歓迎するプライベ−トパ−ティを我が家で催
す様になって何年にもなる.どうしてそうなったのか、その理由は定かで
はないが、今年も30人を越す隊員達で家の中ばかりか、庭のプ−ルに落
ちんばかりの騒ぎ会になり、近所に断わりを入れて置いて良かった.
パ−スを出てから傾斜角左右40度を越す暴風圏を航海し、氷だけの中で
激務を果たさなければならない隊員を、我が家族、協力してくれたホスト、
ホステス達は精一杯の気取らぬ持て成しで会を盛り上げた.
「これも、言って見れば、歴としたボランティアよネ」
「食べて飲んで騒ぐ、こんな楽しいボランティアなら毎日でも良いわよ」
のんべ−な叔母さんホステスに言われると「これもボランティアか」と
納得してしまう.
士官達から送られて来る船上での生活、氷河群の情景等のメ−ル映像を
リアルタイムで楽しめるのも「あのボランティアのお陰」と言うべきか?
そして.
彼等と入れ代わりに、学友達が「広瀬が居るから丁度いい」と小団体で
やって来た.
この「丁度いい」が「あいつにボランティアをさせれば都合が良い」と、
勝手連.青春時代の幾つも重ねた重箱の隅を突けば、互いに苦笑いする様
な隠して置きたい秘密を持つ友人.大会社の専務だ常務を歴任した所で、
学生時代の無茶は隠せない.某国立大大学院の教授を退官した、紅一点の
お嬢も、40年を越す歳月に風体は変われども、あの懐かしい乙女恋を何
処かに忍ばせ気取っていたが、我々ご学友の悪態に心開かざるを得ない.
何処え行くにしても車一台では足りず、妻と娘も何日か奉公を休み、これ
又、ボランティアを強いた.
「お父さんの友達は変な人達ばかり、でも面白い.みんな好き勝手ばっか
り言ってさ.政治に経済、星座に登山、世界の地図に歴史の流れ、
モ−パッサンにゾラ、グリ−グにシュ−マン、デカルトまで、何処まで広
がるか分からない話と議論.今まで家に来た人達と一味も二味も違う変人
集団.お父さんってあんな人達と友達だったんだ.何となく分かる気もする.
類は類を呼ぶって、そうだね」馬鹿にされたのか見直してくれたのか、
娘の言.
それにしても、金もなく食う物も儘ならず、一張羅の学生服の裾は切れて
も、自分の陳腐な論理を貪り読んだ本や文献から知識を組み立て、時間を
忘れ、唾を飛ばして語り合った.   
半世紀が過ぎても体の中の情熱は燃え上がる.老体で有ってもその情熱の
ほとばしりに、何かを感じた娘.
父友の為のボランティアの中で、私の財産(生存した)の一部を娘に伝え
た様な気がしている.
意義を目的に何かをしている訳では無いが、日々の行動の中にも何かしら
意義が有ると考えれば、人生捨てたもんでもない.
あんなボランティア、こんなボランティア、あんな解釈、こんな解釈と多  
種多様で有るから、世の中は面白い.
ボランティアも又、意味深(いみしん).
酒も飲まずの三日酔い.私の漫筆も酔筆に似たり、か.    

その他12月に入ってからは、クリスマスに名を借りたパ−ティが立て続
けに有り、所属するボランティア団体で同日にダブルでパ−ティが有り、
その梯子と、しゃれにもならない忙しさ.
その一つにWAのミニスタ−、ギャロップからの招待が有った.
前任のミニスタ−、リチャ−ドコ−トとは三回ほど招待を受け、何時も
日本人が我々夫婦一組と目立った事も有り(ボランティア団体のパ−ティ)
親しく話した.気取らずフレンドリ−な態度と、ユ−モアたっぷりな話し
方には、つい引き込まれる.
ギャロップは話し方の勢だろうか?心の真意が伝わって来なく、親しむま
でに時間が必要だと感じた.
だが、ボランティア団体の名誉会長として仰ぎ、協力を得なければならな
い立場の私達、積極的に理解する努力が必要だと、諭され、ワイングラス
を持って再度、言葉を交わしボランティアの政治的意義を試みた.
「日本人も我が国のボランティアを理解し、参加、活動をしてくれるのは
有り難い.多くの友人をも是非誘って、長く続けて下さい.お願いします」
日本人一人だけの私を見ての言かと思い「ここには居ないが、多くの日本
人がボランティアに参加して、有意義な活動をしていますよ!」と私なり
に日本人魂をアッピ−ル.
これもボランティア?またまた、意味深.
それにしても、クリスマスの日にはまだまだ間が有る、クリスマスパ−ティ
に参加して飲み食い騒いでいると、忘年会の為の忘年会で二日酔い、苦し
い頭痛を習慣的に繰り返していた、日本の年末を思い出す.    
ぐるりと日本の裏側に来ても、似たことを凝りもせず繰り返す「おん馬鹿」な私.
元々「人間的成長」なんて言葉は私に似合わないが「成長無き成長」
(書いている私にも内容が分からない意味不明瞭な熟語)を十分満喫して
生きて来たのだから、いい加減も又楽しい.

意味深とは「意味深長」を略した俗語だが、意味などに深みが有って含蓄
の多いことだそうだ.
「この文章、意味深=深く含蓄が有る−とは思えない」と思い感じる人が
居れば、まさに「したり」と狂言の舞い.   
   
ボランティアは新年、四日までお休み.
「ああ、のんびり出来る.うれしいナ−」

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