私のボランティアNO39
 (言葉と心の間)    広瀬寿武-

 オ−ストラリアから遙、遠くに離れた、そして日本の本州、北端、青森
の回り中、畑に囲まれた、私の母の住む老人ホ−ムを訪ねたのは、窓から
岩木山の雪肌が見えているのに、桜が殆ど散ってしまった四月の中旬.
 
車から降りようとして玄関のきれいに磨かれたタイルに片足をつき、二重
の大きなガラス戸越しに目をやった.広く明るいロビ−の上がり口に、そ
こまで椅子を持って来たのだろう、胸の辺りに拳を握り覗く様に首を突き
出した小さな母の姿.
「お母さん、二時間も前からここで待っていたんですよ」スタッフに言わ
れる前に、私の心の中に母の姿を見た瞬間から親子の距離が消えていた.
なのに、車から完全に降り、一つ目のガラス戸が閉まり、二つ目も閉まり
母の呼吸が感じるまでの数秒間、私は愚にも付かぬ男のコケンと見栄に惑
い、母を気遣う心と一年振りに逢う、鼻の詰まる感動を隠してしまった.
「元気そうじゃない」
「うん、お前、疲れてないかい」もっと、もっと何かを言いたそうな母の
詰る気持ちを知りながら、スッタフにだけはお愛想の言葉と笑みを忘れな
い.
部屋に入ると、私の好物の大福、おはぎ、生菓子が皿の上にてんこもり.
同じ市内に住む私の妹に命じて用意して置いたのだろう.
「食べるかい?」「お茶を入れようか?」
切り刻む言葉の間に母の心を一身に感じる.
三日間、母の部屋で過ごした日々の言葉は何時も言葉足らずの一言.
「みんな元気かい?」「元気」「ランスは、プ−は?」
犬と猫は母がパ−スで暮らしていた十年間の大事な話し相手.
「変わらないよ、一寸歳とったけどね」「そうかい」「金魚は?」
金魚なんてどうでも良いと思うが、母は食べ残しのパンをよくやっていた
ので姿を見せるだけで寄って来た.
「三匹死んだ」「寿命かね、でもまだ三十匹ほどいるんだろう」「うん」
母の部屋は十畳は有るだろう洋間、六畳、八畳の和室.年中24度の室温
に床下暖房.温泉風呂が幾つも有る.食堂で時間になればみんなで食事.
母がこんな広い部屋に居るのには理由が有る.
「私は家族ならいざ知らず、知らない人と一緒なんて、まっぴらだよ」
それだけではない.
「ご飯の時間だよ」「いいんだよ、あんな旨くないの」
食堂に行かない母の部屋にスタッフがわざわざ食事を運んで来る.
「食べたくないのだから、わざわざ運んで来なくても良いのに」
事務長が「お母さんはオ−ストラリアで、美味しいものを食べていたんで
しょうね.ここの食事は口に合わないのかも知れませんね」
「違う違う!全く、全くの我まま」当たり前の事だが、理由にならない理
由を人は理解しない.我々家族だってあきれ果てている.当の母は我まま
が人生と言わんばかりに日々大手を振って、回りを気に掛けない.  
三日間、温泉に入り、酒を飲んでごろごろしながら、単語だけの会話. 
それでも親子の関係は不思議なもので、腹の中で苦笑しながら許し、その
又深くで分かり合っている.
母のホ−ムを立つ日.
心の内を顔に出さない様に努めて「帰るよ」
母は「うん」と頷く.
その目に潜む淋しさを見ない振りして背を向ける.だが私の全神経は背中
に集中して母の我ままも、何もかも全部ひっくるめた、母の私へ思いを痛
く痛く感じていた.
「どうして素直に母を労る言葉が出ないのか」空港までの車の中で馬鹿な
我が心を悔やむ.
「今度来た時は・・」「いや、何度来ても同じく・・変わらないだろう」
私と母の間の短い言葉.だがその単語に消えない思いが一杯詰まっている.

ボランティアをしている老人ホ−ムの老人たちに、私の掛ける言葉はどの
様に響いているのだろうか.
母との会話で切り刻んだ、最短の言葉.でも互いの心の中で響きを感じ取
り、分かり合う.親子の情.
ボランティアの中で触れ合う人との情は?
見せかけ、表面(おもてずら)、作り言葉.
そうではないと自分の心に言う弱々しい問いかけ.
親子の情と同じ様に心を持って接しているかと問い掛けてみるが.
未だ回答出来ないまま、私のボランティアは続く.
それで良いのか?
「良くなくても凡凡人以下の私の知力能力、それしきゃ出来ない」と割り
切ってしまう、いい加減な私.
「だから続くのかも?ネ」 

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