私のボランティアNO38
(思い違い−共依存)   広瀬寿武

 Blind Golf(BG)のキャディ.
毎週金曜日のボランティアには前日の夕方から細かい道具や私の気持ちを
頭の中に描く、そんな支度をする楽しさが背中を押す.天候の魔物がMと
私を容赦なく苦しめた、その季節も過ぎようとしている.  

「トシ、今日はBカップハイのゲ−ムだ.優勝しようぜ!」
私と90度以上も開いた方向からMは、はしゃいだ声を投げかけて来る.
Mとのコンビも互いに意気が合ってか(私自身はそう思っているのだが)
ここの所、賞品を貰う回数も増えた.だが、一番は私のキャディとしての
才能!?技術?が優れているからだと、自分の価値観を実感する奢りを内
心抱いていた.
手を引いて誘導し、飛ばすべき方向に飛ばないボ−ルを探し、体の位置を
定め、残り距離を伝え、クラブを選択する.
パブリックのクリャモント・ゴルフコ−スは、酷いと言っても言い過ぎな
いほど荒れたコ−ス.フェヤ−ウェ−は大波小波、片手で引くカ−トは常
に横揺れて手首を突く、クラブとクラブがバックの中でぶつかり、カチャ
カチャと賑やかな雑音を奏でる.目明きの私ですら時折、デコボコの狭間
に足を取られる.Mは始終ヨロツキ、私の腕にしがみつく.
「Mは、私なしではゴルフを楽しむ事が出来ない」と思いながらの自己陶
酔に何の疑問も持たないでいた.
確かにMは、私の腕を掴み、私の言葉を信じ、心の動きを頼りにしている.
彼の目の役を果たしているのだから、当然のことだ.私の誘導が間違えば
彼は躓き転び、怪我をし兼ねないが、これは物理的現象に対する単なる行
為に過ぎない.「私なしでは・・・・・・」と言う心理的な内容と物理的
行為との間を無理に関連つけることも無い.
「トシ、先週、ここで7番アイアンを使い、20メ−タ−、オ−バした.
今日は9番を使う」
「いや、8番で良いんじゃないか」「いや、9番で良い」とはっきり言い
切った.
打った!良いショット.なんと、ON!ON!
「ONしたよ!ナイスショット!」八方から声がかかる.
アイアンの選択をMに任せざるをえない、負け惜しみに似た心境を引き摺
りながら、終わってみたら、なんと優勝.
キャディの私もMには劣るがトロフィ−を貰い、喜びを分かち合った. 

Mは私を信頼している.私もMの為に頼りになろうとする.
だが信頼と依存の違いを意識して考えてはいなかった.Mの毅然としたア
イアンの選択が私の思い違いを気づかせてくれた.
「私がいなければ・・・・・・」Mの依存している部分を感じて守り、手
足、目となって尽くす.私も又、依存が必要なMに依存しながら尽くす事
で、自己満足していたのではないか.
精神分析学的に言うと「共依存」という病理だそうだ.

映画や小説の中で、いや、現実の生活の中でも見聞きする理解できない謎.
「どうして、あんなダメ男と、バカ男と、クダラナイ男と離れないでいる
のかしら、あの女の人.挙げ句の果てには殺されたり、体まで売って.そ
こまでして、どうして一緒にいるのかしら.分からないわ」
妻がニュ−スを見ながら言うのを聞くと、我が事かとドッキットする.
自分の事を棚に上げて「私(男)もそう思います.女の深い謎です」
エミ−ル・ゾラの「居酒屋」の中の女、ジェルベ−ズの生き方に男の私も
腹が立.
彼女はぐうたらでアルコ−ル依存症のダメ亭主と、その元愛人に頼られ、
洗濯女までしても、二人を見捨てない.  、
「バカ、いい加減に別れろよ!もう!」
Mは決してダメ男ではない.内面的には強靱な意志を持っていると思う.
だが健常者の私からすれば、盲目、難聴の障害者、社会的な助けを必要と
する弱者.弱い立場の人達を守り支援する行為は一般的な事.
それを一寸した思い違いで、尽くすと言うエサに陶酔させられてしまう.
これは私の貧弱な人間性なのかも知れないが.
医療現場のボランティア、セラピスト、ソ−シャルワカ−は往々にして
「共依存」に陥ることが多いと聞く.
私の無意識の思い違いと同様「自分がいなければこの人達は困り、ダメに
なる」と言う自己陶酔が、過剰な献身へと駆り立てる.
さらに、「共依存」が極まると「ミュンハウゼン症候群」と言う精神障害
なると言う.
水曜日のボランティア、O’C(精神障害者のサポ−トセンタ−)に「そ
の極まった」患者がいる.
Mrs Jは大学で三つもディグリ−を取り、セラピストのスペシャリストとし  
て、深く患者に関わっている内に「共依存」が極り、今は自分が患者.
スペシャリストの面影もない.恐ろしい精神障害に発展してしまった.

私は週3〜4日、毎日違う所だが、全て医療現場のボランティア.数年間
も通い続けると、思う気持ち、尽くすべき限度を見失う.とは言え盲目の
人達に、精神障害に迷う人達に、老齢と病に不安を持っている人達に、今
触れ合っている瞬間、「尽くすべき限度」を測るメジャ−なんか何処にも
持ち合わせていない.
思い違いも仕方がないか.
「共依存」も有りか.
「おまえみたいな唐変木が何を心配しているんだよ!」と何処かから聞こ
えて来る.

「共依存」ジ−クムント・フロイトの精神分析を参照.
それにしてもフロイトやユンクは、精神分析学で自分の事をどの様に分析
し、位置付けているのか興味が有る.

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