私のボランティアNO37
(善意と実行の間) 広瀬寿武
我が家の愛すべき家族であった犬のランスと猫のプ−が、手を携える様
に黄泉の国へ旅だってから、半年になろうとしている.未だ仏壇の前には
二人?の写真と遺骨が心地よく並んでいる.新盆には仏前で家族そろって
二人を偲び「二人で仲良く散歩してネ」と声を掛け、深夜まで線香の細く
立ち上る安息香の筋を絶やさないでいた.
「ロウソクの火、気を付けてよ」妻はミ−の悪戯を心配している.
我が家にランスとプ−の代わりを背負って来た小猫のミ−.二カ月が過ぎ
た最近、よくぞ考えつくなと感心するほどの悪戯を、次々にやってくれる.
お陰で妻の小言を聞く被害を私が浴びる.
「おお、こわいこわい、ミ−ちゃん、逃げよう!」
二階に引き籠もって、ものの数分、首に付けた二つの鈴を振り鳴らし、一
気に階下に走る.何かが落ち転がる音、激しく爪を立て飛び上がる音.
「お父さん!」「これ!」妻の声は怒っているのか、あきれているのか、
諦めの優しさなのか.
「しょうがないよ、プ−とランスの二人分の働きをしてるんだもン、ネ」
娘がミ−の味方をする.それでも妻の機嫌を損なうのは得策ではないので、
ミ−の先回りをして悪戯の阻止を考え、処置をする.ミ−の奴は私の行動
を窺い丸い目を凝らす.知恵比べ、我慢比べの戦いは直ぐ結果が出た.
「ミ−に馬鹿にされてるんじゃない」妻に鼻で笑われ私の完敗.
ミ−は私の膝や側で平和を貪り眠るが、妻の側では絶対しない.ミ−の本
能的な抵抗なのか、動物と人との自然なル−ルが我が家族を快く慰める.
O’Cで毎年恒例のPerth Zooへのoutdoor activity.
まあまあの天気の中を40人のメンバ−.
何種類かの小動物と直接、自由に触れ合えるコ−ナ−では、長い間留まり
和んで離れない.動物達と触れ合う自然な優しいル−ルがメンバ−の心を
慰め楽しませる.精神障害と言う病気から離れた安らぎが、引率するソ−
シャルワ−カ−2人とボランティアの私にも、豊かで柔らかい同じ気持ち
が伝わり共有出来た.
ランスとプ−、そしてミ−の悪戯を考えても、私達の家族(3年前に日本
に帰った91歳になる母も含む)に多くの豊かな情感を日々与えてくれた
愛する同じ動物達、その命と病んだ人の命が触れ合う自然な和みを心に熱
く感じた.
この一日のボランティアに私は説明の付かない感動を得た.
そして、このセンタ−を運営するMrs O'Conner(O'C)に思いを重ねる.
先日International Volunteer Dayのパ−ティにO'Cさんと共に参加した.
私より二つ年上、面長な顔に老眼境、目尻には深い皺が重なり、何故かそ
の皺が崇高な美を感じさせる.物静かに話すのからは想像できないほど、
行動が敏速で、センタ−でのX'mas partyでは率先して動き回る.十年前に
ご主人を亡くし、今は一人暮らし.至って健康だと言う.
パ−ティ会場で待っていると、およそ場所に似つかわしくない、古い古い
何年物か分からない様な車が私の側で止まった.
「トシ、車の駐車をお願い.狭いところはハンドルが重くて、大変なのよ」
今時スティアリングでないハンドルの車が有るのが不思議なくらい驚いた.
私の技術をしても簡単ではない.運転する人なら理解できるだろう腕力勝
負のハンドル捌き.
ドア−の噛み合わせも悪く、座席の破れをタオルで隠し「悪口」に聞こえ
る様な表現しか出来ない車.
「あれじゃ、運転が大変でしょう.そろそろ買い替えたら」私の思いが
「素直」に口から出てしまった.
「そうしたいけど・・・・・、Bunburyのセンタ−も、ネ、Joondalupにも
お金がネ、足りないのよ」遠慮がちに、ぼそりと、恰も自分自身に話掛け
ている様に.
「俺って、馬鹿だよナ.何年センタ−でボランティアをしているんだ!」
慈善をする人とその精神に触れていながら、何も理解していない.
彼女の家(Rockighamの外れに有る)のお茶会に招待された時、お世辞にも
「素敵」と言えない住まいに驚いた、が、1989年のO’Cの開設と以
後の運営資金のため、個人の資産、資金の殆どを注ぎ込んでしまい、今は
austeries(耐乏生活)を楽しんでいると言った、スッタフの言葉を忘れてい
た.と言うより、そこまでして(私は自己犠牲ではないかと思う)慈善に
心血を注ぎ込む事を、どう理解したら良いのか.
私のボランティアでは、年間阡〜弐阡ドル位の支出をするが、その後で何
となく複雑な気持ちになる.
「あの金でうまい物が食えたのに」「いいクラブが買えたのに」
生臭い私は、慈善に僅かな金を寄付しただけでも陳腐な後悔をする.
慈善に真の情熱を注ぐ、多くの人達の側で見聞き、一時を共に過ごす事が
有っても、ただ「凄いナ、尊敬しちゃうナ」と本当に思うが、そこまでの
私.全く成長は無いし、成長しようとするエネルギ−も素質も無い.
日々、愚にも付かぬ欲望が蔓延して、それに影響され、快楽の心地の匂い
だけを敏感に嗅ぎ求める.
O’Cさんや慈善心の篤い人達の心深を、いい加減な私が想像するのは不
可能.距離があると言うより、心そのものが違う様に思う.
多くの人がその貴重かつ崇高な行為を賞賛して、名誉、名声、相当する地
位を与えようとするが、そんなものに欲望、興味を持たない.
彼等の多くは「人の為なら」と欲望の方向を其方に向ける.
善意の実行がその欲望の中で完成されて行く.
私はこうも簡単に、如何にも理解しているかのごとく、知ったか振りして
書いてはいるが、MrsO’Cさんと比較して、対称になる人間性を持ち合わ
せてはいない.
だから、善意を実行する人の間で、私が出来る(知れた事だが)何かを捻
り出して、詰まらぬ欲望と葛藤しながら、その「間」に向かう.
でも、でも、私のボランティアは私なりに、何時も、どんな時も
「こよなく、愛しい」
O’C 精神障害者のケア−センタ−(法人)
O’Connor夫妻が開設
貧乏だが情熱溢れた優しく明るいセンタ−.
「メンバ−は幸せだ!」
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