私のボランティアNO35
(葬式と誕生会) 広瀬寿武
MercyCare CommunityのVolunteer Homeでの私のボランティアは、主とし
て付属するNursing home( ホ-ム)でのサポ−ト.外出、買い物、頭の運動、
身体の運動(ゲ−ム遊び)等、一人一人に手が掛かるので、私ごとき人間
でも忙しく走り回る.最初のうちは私の体に(特に腰)負担が掛かってい
た車椅子への乗り降りも、慣れと共に老人の体形、体調が何となく理解出
来たのか、その負担を感じる事が少なくなった.それでも体全体を預けら
れた瞬間に、普段使わない筋肉へも相当の力が掛り、筋肉痛を覚え運動不
足を知る.老人を扱うので徹底した講習と実習を受けたが、日々異なる老
人の体調、心境、気温等の外的条件にもより、講習は単なるべ−スにしか
過ぎない.体験で自分の体に覚えさせ、自然に「気」と「肉体」が対応出
来れば良いのだが、鈍に馬鹿といい加減を加えた様な私には人の何倍もの
努力が必要になる.
「そんな事も解らないで、よくボランティアをやっているわね?私なんか
寝たっ切りの姑の世話を、何年もしてたんだから」と或るご婦人の厳しい
言葉.ご婦人は苦労を積み重ね、多くの貴重な体験を会得したと理解出来
るし「すごいこと」だとも思う.だが「私がやらなければ誰が・・!」
「止むを得ず」「仕様が無い」と言う言葉が見え隠れしている.それが悪
い訳ではない.避け様のないこんな現状は何処にでも有り、時には悲惨な
状況に追い込まれる現実すら珍しくない.
一般に言い、行なっているボランティアと「止むを得ず」強制的、義務的
な行動、心情とを、もう少し優しく、別けて理解する事が出来ないのだろ
うかと寂しく思う.ボランティアをする人の多くは自分なりに最善を尽く
そうと、常に心がけて努力をしている.強制的な発想ではなく、自発的な
無償の奉仕心が何よりも優先するとしたら、ご婦人の厳しい批判の言葉は
無意味に思う.
その日、今にも雨が落ちて来そうな、どんよりと曇った空模様.
私のスケジュ−ルは午前、午後とも忙しい一日.
数人の病院(車椅子での)、コミニティセンタ−への移送、昼食前の一時
間ビンゴゲ−ムで頭の体操のヘルプ(30〜40人).
昼食を挟んでの誕生会(月一回).予定表を頭に置いての出勤?
駐車場を通り抜けた空き地に黒塗りのリムジンが二台、全く何時もの変わ
らぬ場景の様に葬儀の終わる順番を待っている.私がここでボランティア
を始めてから、何回同じ光景を目にしていることか.
大きなMarcy Hospitalを経営している老人ホ−ム、体調に問題が有れば病
院へ移送する便利さは有るが、何時何が有るか解からないのが高齢者の常.
ホ−ムに付属する教会の入り口には、もう一台の霊柩車が横付けされてい
た.計三台.
何故か見送る老人達の表情は、ただただ静かで安らかに見える.この様な
状況の中では、重苦しく物悲しさが溢れているものだと思っていた、単純
馬鹿な私との平常感の違いは何なんだろうかと、愚にも付かぬ思いを頭の
隅に残して一日が始まった.
車椅子のまま病院へ二人、杖のお爺さんをコミュニティへ.誰も今日の葬
儀の事に触れない.無関心なのか無関心を装っているのか、まるで他人事
の様に感じる.確かに人事ではあるが、何年かは同じ屋根の下で暮らした
知人同士、と私は思うのだが.
十一時から頭の運動.惚けて居るわけではないが、心身共に衰退する老い
を止め様と、スタッフが余り意の進まない老人までも集め、色々な事を行
なう.
「老人達の事を思い考えるから」「老人達の為なの」とスタッフ.
「老いるのは自然の流れ、楽しく無理なく自然に老いて行きたい」
「皆に世話を掛け、迷惑を掛けたいなんて思っていないけど、自然な順番
には従う」と老人達.
老人達の言う「楽しく無理なく」とは「気の進まない事を無理強いされて、
老衰に逆らうのは嫌だ」「世話も迷惑も掛けます.お願いします」
思いやりの有る義務と優しい我儘が同居する中でボランティアをしながら、
何となく笑ってしまう.まだまだ他人事から脱しない私の内面.無知も然
ることながら、未熟な私を曝け出す.
双方に思いやりの有る、理解しようとする心が欠けたら、果たしてどうな
る事だろう.
誕生日1909年、1911年のお婆さん.
1917年、1921年のお爺さん、四人の誕生会を月一回に纏めて行な
う.夫々の家族、友人等総勢40人を越すパ−ティ.シェフの献立で料理
が用意され、担当チ−フのAが全てを取り仕切る.言っては悪いが彼女の
体形は風船で膨らんだ様に丸く、Tシャツから時折お肉が食み出しゴムで
辛うじて留めているズボンを持ち上げながら歩く仕種を、何とかならない
ものかと、はらはらしながら見ていた.だが気の良い丸い笑顔で話掛ける
言葉には慈愛が溢れていて、動きの遅いサ−ブをつい助けたくなってから、
色々なパ−ティのボランティアが私に振り向けられ、何時の間にかスケ
ジュ−ル表に名前が当然の様に書き込まれている.
昼食時、平時でも足りないスッタフ.パ−ティの大小に関わらず、この手
の昼食会はAと私の二人.
「他のボランティアに声を掛けたら」とAをつっついた.
「キャラクタ−が向いていない」と.
「じゃ、私は何かい?パ−ティ向きの騒ぎやかい?」
「老人達がトシを指名するのだから.いいじゃないの、もてて」
そうです、ここえ来て最初の頃の昼食会、それもガ−デンパ−ティで歌い
踊りサ−ブに席を飛び回り、あっちこっちから声が掛った.
あれ以来「トシ」が有名になり、マスコット的な存在になってしまったの
かと、これもボランティアか.まあいいや.
「トシ、ビ−ル」「トシ、ワイン」「トシ、シャンテ、溢れるまで入れろ」
そんなに飲んだら死ぬぞ!と腹の中で.席を飛び回り飲み物、食事、デザ−
ト、一息付く間も無く歌の所望.老人の(殆どが女性?)知る古い歌を私
の作詞で耳元に囁く様に歌う.
因に作詞?を紹介しよう.
I love you love i love you
You love i love you love me
Oh my darling i love you
この繰り返し、だが、殆どの曲はこれでも、ちゃんと歌になり、婆ちゃん
爺ちゃんが一緒になって騒ぎ楽しく歌う.
外はまだ葬式の余韻を残している.悲しく淋しく苦しいはずの現象.
内では一時を大事に誕生会を楽しむ.
人は多くの顔を持っていて、時々に応じその顔を使い分ける.
だが「老人ホ−ム」に生きている人々は全て「素顔」.どうし素顔の人は
こうも人間的で、触れると心に安堵が漲るのだろうか.
人生で「死」は当然の事「何時かは死ぬ」当たり前の出来事.考えようと
考えまいと死と言う現象は勝手にやって来る.そしてその現象を誰もが意
識の中で認め、誰もが知っている.だが私の中で死を現実化するのは難し
く(猫が、愛犬が昇天したにも関わらず)他人事の様に意識の外に置く.
これを楽天家と言えばオプティミストに悪いし、ペシミストはもっと嫌だ.
要するにそこまで人間が出来ていないと言う証拠が日々を生きている.
「気楽なのかも」と未熟を苦笑してもせんない事だが.
老人ホ−ムで感じる「死」は、人生の中での過程で、通過する一つの一点.
最後ではない.
で、その最後は、何処へ行くのか「天国よ」
「一つの命が側から消えても私には今日が有る、明日も確実に来る」
「そう思っているよ」愛する老人達.
字面では理解出来る様な気はするが、感覚ではピンと来ない.
涙も感情の現象、送り出すと、今、生きている「時」を一分一分大切に
愛おしむ.
厳かに進行している葬式と、ワインを酌み交わし、歌い、言葉に酔い命を
謳歌する誕生会が、同じ時間帯の中で進行している.
老人ホ−ムに生きる仙人達.
70歳を向かえようとしている私が、仙人界とは程遠い仙人村でボランティ
アをしている.仙人達の優しく見守る笑顔、仕種、態度は覚束ない私の心
を和ましてくれる.
目が覚めて「今日もボランティアか」と身に重さを感じながら、週3〜4
日のボランティアに出掛ける.でも最近、その気持ちに活力を与えてくれ
る、その情熱が仙人達から得ているのではないかと思う.
「ありがとう」と言うべき事なのだろう.
偽善と真心が字面の奥底で無意識のうちに、だが、常に葛藤して沸沸とし
ている.
「それで良いのだ、素顔なんだから」と内面を慰めながらも、私のボラン
ティアはまだまだ終わらないだろう.
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