私のボランティアNO34
(言い分け−弁解−は自分の為ならず?) 広瀬寿武
Cat Heavenへ娘と二人で行ったのは、最初から猫を貰ってこようとの魂
胆有っての事ではない.ましてや土日も勤務する妻の留守を狙っては、疚
しさを隠せない.
日曜日、11時、Heaven内に溢れる人の多さに驚いた.日頃、ラジオ、
新聞、TVで「猫の命を助けて下さい」と、薬殺される運命に有る猫の引き
取り先を広く募集しているのを見てか、人々に動物愛護の気持ちが満ち溢
れている様に感じる.反面、ここに持ち込まれる猫の多さをどのように考
えたら良いのか、戸惑うのも事実.捨てる人が有れば拾う人も有る、縮小
された世の常の様.
幾つも有る猫小屋を回ったが、どうしてもKittyの小屋に引き付けられ、
人々はそこに溜まる.
五匹のKittyが折り重なっている前に立つと、その中の一匹が見上げる目と
合い、娘が動くと小さな顔を横に曲げ丸い目が追って来る.
「可愛いよ、助けてって言ってるみたい.連れて帰ろうよ」
「お母さんに叱られるよ」
「お父さんが上手く言えば良いじゃない.ほら、まだこっちを見ている」
ここえ来たのが間違いだったと気づいた時には、Kittyは娘の腕の中.
生まれて四週間の掌に乗る様な小さなKittyは、居間の隅で目を丸くして、
まるで私達の妻への言い訳に悩んでいるのが以心伝心したかの様に、怯え
て見える.
「返しておいでよ」案の定.どうして妻の言がこんなに威厳が有るのかと
小さくなる私達.
必死で考えた陳腐な言い訳「貰って来なければ命がなくなるだよ.可愛そ
うじゃない」
蚊の鳴くような声で「ミュ−」と一声.「私は知らないからね」
そのまま居着いて一週間.そっと妻の気持ちを覗きながら「何とかなりそ
うだ」とKittyの耳に囁く.
私も娘もそしてKittyも妻のご機嫌を伺いながら「名前を付けようか」
「ミィ−ちゃんで良いじゃない」妻の笑顔で私達プラス「ミィ」は完全に
救われた.
陳腐な言い訳と妻の優しい許しは、毎日に愉快な風を加えた.
その日、金曜日、blind golfのボランティア.朝から雨が降ったり止んだり.
予報も雨.私は予報が雨だと事前に断わり、雨のゴルフはしない事に
している.だがBlindの人はどうするのか、雨降りの初めてのボランティア.
「傘は使えないでしょう.怪我をさせないように気をつけてね」と妻.
「片手でバギ−、片手でMを誘導するんだろうナ」落ち着かない気持ちの
まま、レインコ−トと取り敢えず傘を持ってゴルフ場へ.
雨が激しくなってきた.ワイパ−を止めると外の状況がはっきりしない.
だが、レインコ−ト姿の面々が準備万端、雨の音を聞きながら談笑してい
る.みんなと全く違う方向を向いて、声の方向に聞こえる耳を向け煙草を
吸っているM.
「おはよう」と皆に挨拶をした私の声に「トシ、おお、ありがとう.来な
いかと心配していた」
(こんな日にやるのかヨ!)内心滅入っていた気持ちを見破られない様に、
「今日は頑張ろうよ、雨降りのチャンスを生かそう」
一寸小降りになってスタ−ト.5ホ−ルのグリ−ン上で雨が激しくなる.
私のフ−ドは捲れ、頭から滴る流れでMの方向の定まらぬボ−ルを何度も
見失い、雨の叩き付けるフェアウエイ上にMを待たせ探す.
Mは鍔広の皮のカ−ボイハット.
(なるほど!俺もこれを被って来れば顔が濡れなかったのに)
小降りと激しさを繰り返す雨、止むのは期待できない.窪みに溜まる雨、
泥濘んだ足場、濡れた芝の滑り、雨風の荒れ模様、自分一人の事でも集中
出来ない状況の中で、その上、頭から首に流れた雨水は既にパンツをも濡
らして最悪な気分の中で、盲人をサポ−トしてゴルフを楽しませてあげる
ボランティア精神なんか忘れてしまった.滑らない様に、転ばない様に、
事故を起こさない様に、ただ、それだけに気を使うのが精一杯.
(こんな雨の中を!早く終わりたい)そう思ってMの手を引いていた.
きっとMも私のいい加減な気持ちを見透かしていたかもしれない.申し訳
ないとプレイ中に思う事も無かった.
終わり、Mのびしょ濡れのレインコ−トと道具を片づけ、挨拶もそこそこ
に家に引き返し、サウナに車を飛ばした.
あんな雨の中で、どうして?盲人なのに、濡れて面白くないだろうに.
キャディだってプレイに集中出来ず、盲人で有るが為に特に注意しなけれ
ばならない重要な事が散漫になる.
サウナの中で身勝手な言い訳が私の頭に充満して消えない.
帰り、その思いを愚痴っぽく妻に言う.
「そんな言い訳を言うのなら、そのボランティアを辞退したら!傘をさせ
ない事ぐらい考えたら解るじゃないの.自分を気遣い、ましてや盲人の人
なんだからより一層相手を気遣わなければならない.言い訳を考える前に
どうしたら良いボランティアが出来るか、それを考える方が先よ!」
全くその通りだ.そんな事は解っているんだが、陳腐な意味の無い言い訳
が優先してしまう.馬鹿と言うか間抜けと言うかボランティアをする資格
に欠けている自分の姿が浮き彫りになる.
「でも、事故もなく責任を果たしたのだから、良くやったわよ」
妻の慰めに心を素直にした.
(そうだ、無事に済んで、本当に良かった.次の雨降りには今日の経験を
生かせば良い.それにしても私はこのボランティアを続ける資格が有るの
かな?)
「そんな言い訳を考える前に、このボランティアに面と向かって努力をす
る方がプラスになる.まだまだ努力が足りない.甘いよ!」
「でも、もうじき、七十歳だよ!びしょ濡れになってゴルフ場をMの手を
引きながら歩いていると、弱気になる」
「ほら、又、言い訳をする.意気地無し!」
何処からともなく、そんな声が聞こえて来る.
そして、そして、毎週毎週、積み重なって年月が過ぎ、又、ボランティア
に出かける.
私のボランティアと陳腐な言い訳は共に共存して、無意味な葛藤が続く.
悟りを得るには余りにも貧困な私の心神.
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