漫筆 「私のボランティア」NO3O
(何となく挑戦、盲人の五感)   広瀬寿武  

 日本の正月の様に「松の内」と言う気分にならないのは、三十度を越す
暑さの勢だけではない.暮れから正月休みが続き、夫々の新春への思いを
味わえる時間、習慣の無いこの国で、私の中に疼く日本人の心に物足りな
さを残す新年を何年か過ごしていたが、それも、ここで暮らして十五年が
過ぎると慣れの中に溶け込んでしまい、新年への厳粛な気持ちすら薄れて
しまう.
「今年こそは」と改まった誓いなんか、夢にも出てこない.それだけ私の
生活や心情が貧困になってしまった様な気がする.
「朱に染まれば、、、」習慣や慣れが何時の間にか朱に有らずとも、そん
な色に染めてしまったのかも知れない.
そう言えば、私のボランティアもその一つなのかもと、ふと思う.   
十二月の三十一日が年最後のボランティア、一月二日、今年の初日.
こんな習慣が五年も続くと当たり前の事になり、苦にもならない.
「暮れや正月くらい休んだら」
「病院もセンタ−も彼等(ガン患者、精神障害者、老人達)の為に動いて
いる.俺の行くのを待っている人もいる居るから」
妻の言葉に偉そうに力んで反発した訳ではないし、私が行かなければ彼等
の一日が始まらない訳でもない.私にとってボランティアが我が道でもな
い.「習慣病みたいなものかも」と言えばボランティアを冒涜する事にな
るだろうか.
車をスタ−トさせると、センタ−が、彼等の顔が心に浮かぶ.そして淡々
とボランティアの一日が始まる.妻の事も娘の事も、そして遊びを誘い掛
けて来た友人達の事も何処かへ行ってしまう.心と心の触れ合いで終始す
る私のボランティアが私を豊かな気持ちにしてくれる.   
そして盲人の気持ちにほんの少し触れる経験.

その日、ABWAのミ−ティング、9a.m.九人全員集合.
SWが開口一番「今日は一日、盲人の感覚を知ってもらう」
アイマスクの下に更にティッシュでガ−ドをすると、全くの闇の世界.目
蓋の裏は、これが黒なのか、わざわざこんな馬鹿げた事を考えたことは無
いが、盲人はどんな色を感じるのだろうか.
これが真っ昼間に私の感じた最初の思い.だが数分もしないうちに目蓋の
裏側はTVの画面と化し、取り留めもなく何の繋がりもない情景を写し出
す.闇の中でも目は、色々なものを想像し、正確に形作る事が出来る.い
くら目隠しをしても視覚を司る脳神経は、正常に働き、常日頃の経験を覚
えて想像逞しくする.
「何を感じますか?盲人の気持ちになれますか?」
「駄目です.頭の中で色々なものが見え過ぎ、想像すると怖くなります」
「それで良いのです.皆さんは盲人ではないのですから.盲人との違いを
理解して、考え、思い遣る心を自分の中に養う経験をしてください」  
 講義.
眠気なんて覚め、全神経がショ−トしそうな位の電流が刺激して、頭の回
線が混乱を始める.見えていれば簡単に理解出来るのに.そう、目が見え
る意識から離れられない.
盲人と私の一番の違いはこの意識か.現在は機械、医学、科学的技術で盲
人の目に代り、広範囲な知識を脳に伝える事が出来る様になったが、まだ
まだ私の目と(老眼だが)同じとはいかない.
 触覚.
私のパ−トナ−はバ−バラ.とても良い体格、腕の肉は私の足くらい.陽
気で気さくな四十代?の女性.ディスカッションや色々な動きを助け合う.
モ−ニングティでティル−ムへ引率されて行く.
「トシ、何処にいるの?」「ここだよ」両手を左右に恐る恐る移動させる
と、ふっくらとした胸か腕か(確かにあの感触は胸だ)に触れた.
私の太股の肉にバ−バラの肉厚の指が重なる.
「ああトシ、もっとこっちへ寄って!」「OK、OK」望むところだ.
何も故意に親しみを誇張している訳ではない.触れ合う事で声の方向を確
かめ顔を向け話し合う事で、意志が通じ合う様な安心感を得る.  
ランチタイムの時も同じ.引率者の左右で互いに言葉を交わた長い廊下、
そして手を離された一瞬の心許なさ.座ると直ぐ指がテ−ブルの縁を這い、
隣は誰か確かめる.左は真っ直ぐ、右はコ−ナ−、そこであの指に触れる.
「トシ、隣なんだ」安心安心.目の見えない不安は常に安心感を求める.
肩に手を掛け耳元でメニュ−のオ−ダ−を聞くスタッフ.講習の席で贅沢
を期待しても無理.料理を食べる為ではない.
「・・・は9時の方向.・・・は5時の方向.飲みものは1時」
なるほど、これは良く分かる.盲人と過ごす為の知恵を知る.
互いに触れ合い、スタッフが肩に手を掛ける.触覚で積極的にものを認識
しようとする能動的触覚により、安心感を得る重要さ.
 信頼.
約一km、住宅街の引率訓練.往きはバ−バラが、帰りは私が引率.往路
復路は違う道.
一歩を踏み出す怖さ.私の右腕にバ−バラの熱く鉄の様な力強い左手首.
私の命を託すに十分な心強さ.腕に食い込んだ指の微妙な操作は言葉より
も遙かに五感、六感を刺激して、バ−バラの一寸した感情の動きを伝える.
「二メ−タ−先に石が有るよ」その距離が分からないばかりか、まだかと
足が竦み不安が膨らむ.だが、バ−バラが危険を察すると、本能的に私の
腕に感情を伝える.これこそ信頼感、絶対の信頼感が有って歩く快さを得
る.我々は盲目の人達に信頼されなければならない、そんな単純な事が肉
体を支配する「感」を通して分かりかけた.とは言え分かりかけ、感じ始
めたのと、それが出来るのとは全く違う.
「自信が持てるか?」それは愚問だ.それでも我々はこの講習、訓練に五
感を集中して、盲目の何かを知ろうと歩を進める.
頭を照りつける太陽の位置が変わると「方向が大きく変わったんだ」
匂い、香りが刻々と変化すると「こんなに色々な匂いが有ったんだ」
鳥の声、車、トラックかバスか、人の声が近づく、女性だ、化粧の匂いが
強い.若くはないだろう.
普段、見えている時には気にもしない社会的、精神的、自然的な情景、情
況が愛しく身近に感じ、何と新鮮なことか.触発された五感に感動する.
盲人達の鋭敏な五感の一端を知る.そしてもう一つ、私の様な人間臭い、
我儘な感情の持ち主が、自分の感情を盲人の五感に即応して行けるのか?
盲人の目の代わりを出来る能力が本当に有るのか?
私自身が考えなければならない、重大さを知る.
Guide Dog(盲導犬)が正確に従順に、盲人の全信頼を全神経で
支え、代眼の役をこなして居る姿に「凄い!」と.他に言葉が無い.
以前に人ごとの様に見ていた情と、講習に参加した後の私の心に宿る情の
違いに気がつき、感情が揺さぶられた.
「凄い!」「私に出来るか?」「怖い!」
「貴方のほんの少しの時間を、ほんの少しの優しい心を盲人達に分けてく
ださい」
私の五感に感じたあの愛しさを大切にしたいが、私に出来るのだろうか?
「私の様な人間に出来るのだろうか?」知りたい.
書いていない多くの多くの経験が身体と脳を刺激して、私自身を劇震して
いる.
私のボランティアの覚束ない情けなさ.

ABWA.Association for the Blind of
 WA
SW.ソ−シャルワ−カ− 

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