私のボランティア NO3 広瀬寿武
「おはよう」
CF(CF,キャンサ− ファンデ−ション)の玄関を入ると
正面に飾られたオ−ストラリアのブッシュを描いた,大きな絵が迎えてくれる.
その前に有る花柄の明るい,ゆったりしたソファ−には既に三人の患者が待っている.
自動扉が開いたと同時に一人が手を上げた.
「トシ,How are you」「Morning」三人の目が明るく笑う.
今朝は元気で調子が良さそうだ,何とか無事に送り迎えが出来る
患者と挨拶を交わしながら,その日の心構えを自分なりに整える.
今日は午前中に五人,午後三人のスケジュ−ル表をレセプションから受け取る.
患者のアポイントの時間と,それぞれ違う病院の場所を組み立て,第一陣の出発.
「トシ,音楽のチャンネルにしてくれ」「OK」
キャンサ−(癌)の進行状態はみんな違い,体調も日々違うのは当然だが,
精神的な不安を抱えているのは皆同じだ.病院へ送り医者に手渡すまでの
間は出来るだけ気を紛らわす話題と音楽で,不安を忘れさす様に気遣う.
だが,迎えに行った時の医者の顔や患者の沈んだ顔を見ると,私の気持も重くなる.
一方,「トシ,来週は帰れる」抱き合って喜ぶ瞬間,涙が流れ出る.
「良かったね,おめでとう」
彼女が治療最後の日,小さな紙包みをそっと私にくれた.
ハンカチとチョコレ−ト,小さなカ−ド.私が六週の間教えた日本語で
(ありがとう,さよなら)英語で住所と電話番号(パ−スから四時間は掛かる
ダウンサウス)孫に覚えた日本語を教える,ぜひ遊びに来てくれ.
感動と失望を繰り返すボランティアが今も,これからも続く.
CFは癌の予防から撲滅,患者の治療,生活面までの全般に渡ってケアする,
WAの州政府直属の福祉事業団体.
WAと言っても,日本の何倍もの広さが有り,数十人,数百人の町が幾つも点在する.
当然,専門病院はもとより,病院の無い所も多い.義務教育に必要な学校も無い.
飛行機で医師が回ったり,無線で学校教育をする.広大で有るが故に,
住民に公平な福祉行政を行なうのは大変な事だ.
癌の様な専門的な医療設備の整った病院は都会にしか無い.
財政的,人材確保等の条件から考えても仕方がない事かもしれない.
私の勤務?する所は癌の治療の為に地方から出て来た人が住むロッジ.
最低でも六週以上の通院をする.政府の運営するロッジはFive Starとは
言わなくとも,一寸したホテル並み.癌の不安を和らげる心づかいが庭の花壇にも
溢れている.
ロッジのロビ−からアポイントの取って有る病院への送り迎えが私の仕事.
私のボランティアは,特にどれこれと選んだ訳ではない.
WAボランティア センタ−からの要請を受け,気楽に面接をしたまでのこと.
O’CentreとDay care Centreは私にも何とか出来そうなので,
O’Cの方だけ始めたが,CFは内容が理解できない.
それに医療の一環で有る為にボランティアと言えども資格認定が必要.
単純に「これは大変だ」と言う思いが有ったが,SWの一言に騙されてみた.
「大変重要な仕事で有り,人材が欲しい.トシなら出来る,是非やってくれ」
医療センタ−で二週間,九時から三時半まで缶詰めになり,講習,デスカッション,
テストと久しぶりに頭を悩まし,苦しさを味わった.分厚い英語のテキスト,
特に医療用語は日本語でも難しいのに「何でこんな苦労をしているのか,馬鹿みたい」
「トシ,癌の家族が居たら精神的に,行動的にどう対処するか?」
心を見透かした様な質問.下らない事を考えている余裕が吹っ飛んでしまう.
二十六人(男六人)認定証を取れたのは十五人(男三人)
取った認定証の重さを知ったのはその直ぐ後.
CFには色んな施設が有りボランティアの仕事も多種に渡る.
レセプション,キャンティ−ン,事務,ホスピスで患者と触れ合う等々.
CFからの呼び出し「患者を運ぶドライバ−が一人足りない,来週から頼む」
ドライバ−トレ−ニングが済むと,ドライバ−ライセンスが政府機関に登録され,
事故等の諸事項が保障された.五人のドライバ−でミ−ティング.
主として休暇を取るスケジュ−ルの調整.一人休めば残った四人の負担となる.
出来るだけ急の休みは避ける(Must be doing)厳しい心構え.
ドライバ−の都合に関わらず,患者は待っているのだから当然のこと.
自分の事より患者の立場を優先して考える,その責任感に私の甘さを実感した.
唯々,身の引き締まる思いで始まったCFのボランティア.
一年以上が過ぎて未だ私は休暇を取っていないし,三十九度近い熱で頭痛が酷い日も
笑い顔で仕事をした.癌の精神的苦痛に比べればなんのその,それに知らない事を
沢山教えられ私の心が和む.
Radiationを受けた後の疲労を隠して
「トシ今日はありがとう,ゴルフ頑張って!」
「OK,商品はみんなで分けよう」
早くみんなが完治してくれればと祈る一日.
人の心は人の心を熱くもするが,冷たくもする.
私のボランティアを「金と暇の有る奴の道楽」と批判する
「人は助け合いの心が必要だ」と口を開けば言っている日本人がいる.
人それぞれだが偽善的に感じる.
ボランティアをしている六十%は,暇が出来たリタイヤの人々,
年金暮らしだが生活に困る事は無い.
その人達を「道楽」とせせら笑う同邦人の冷たい心が痛いく悲しい.
Volunteerの意味が示す様に,あくまでも自発的な行為を批判する事自体
ナンセンス.自発的な奉仕を格付けで差別する日本人特有の考え方は,
ボランティア先進国では幼稚に見える.
事情によって奉仕の心が有っても出来ない人は沢山いる.
出来る人が出来る事をする自然な気持が,ボランティア精神を支える.
私のボランティアの一日には,何時も私なりの感動が有る.
英語が通じない事が有っても心が通う.
夫々の故国での生い立ちに聞き耳を立て,もっと聞きたくなる.
思考の面白さに思わず「そうなんだ!」と.
知らない事を知る楽しさ.
「トシ,来週は家族の下へ帰れる.八週の間,ありがとう」
「よかった」心底そう思う.
握手の握力とそして肩を抱き合い涙する本当の心に触れ,限りない感動を得る.
そう,私のボランティアは豊かな感動の泉に満たされている.
心の泉を枯らさない為にも続けなければ!
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