私のボランティアNO28
(何となく挑戦、老人ホ−ム) 広瀬寿武
MCSが運営するAged Careの中の所謂、老人ホ−ムには約三百
人の老人が暮らしている.
内、イ、五分の一は老人なりに自力で日常生活が出来る.
ロ、残りの三分の一は寝たっきり.
ハ、 三分の一は車椅子が必要.
ニ、残りは歩行器等で個人差は有るが歩行可能.
大別して生活の行動能力が四種類有り、私の仕事は「ロ」を除いた人達の車
輸送、要するにドライバ−サ−ビス.病院へ、買い物、散歩等、頻繁に外出
するため、一日四〜五人いるドライバ−もフル稼動.
一カ月の教育講習.
ボランティアは「お金を得る為に働くのと同じ責任が有る」と始まり、一に
も二にも安全第一を叩き込まれる.
私はCFとO’Cでボランティアの意義及び病気、障害者の扱い方について
の受講済なので、即、実地トレ−ニング.
大型バス(車椅子共に同乗出来るリフト付)
車椅子専用(二器同乗)ワゴン車
セダン、三台.計五台.
リフトの扱い、固定の仕方、車椅子専用車の運転の仕方等、それに加え高齢
者の扱い方、現場に於ける技術的及び肉体労働についての詳細.
簡単だと思っていた訳ではないが、脳の働きが人より鈍い私にとって、未知
な事への挑戦は容易ではない.他の人の経歴を聞くと「バスドライバ−歴2
0年」「タクシ−ドライバ−歴25年」等々.年齢も61歳が最高齢で、後
は50代.67歳の私とは歴然としたハンディ−の持ち主.
「どうしよう」なんて躊躇したり迷う事の無いのが、私の取り得.
経験の中で脳と身体も馴染んで行くだろうが、失敗も経験の内と率先して取
り組む私のキャラクタ−に、スッタフも協力を惜しまない.
そんな中で私が最初に気付いた事.
「年寄り」「老人」「高齢者」どう呼んだら良いか迷うが、私には「お年寄
り」の音に親しみを感じるので、総称して「年寄り」と書く.
その「年寄り」を知らない.
二年前に日本へ帰りホ−ムに入所している八十八歳になる母がいる.五年
ほど前から歩行器を使用しているが頭も口も健在.
耳をそば立て、何もしない癖に減らず口を叩き、都合の悪いことは忘れてし
まう(忘れた振りをするのか).年寄りでも肉親の甘えは互いに我儘な感情
を横行させ、「年寄り」と生活している意識を薄くする.
我が家に長い間「年寄り」が居たのに年寄りを知らない、いい加減な私に気
が付いたと言う、笑うに笑えない事実.
器具等を扱うには、それを使用する年寄りの心情、体調、思考等を理解しな
ければならない.
例えば、担当した年寄りを車に乗せる.字に書けばそれだけの事.だが車椅
子から移動車に移す.色々な手順を踏んで乗せるのだが、先ず車椅子から立
ち上がらせる.年寄りの心情を計り立ち上がる意志を促し、腰に深く手を添
え肘と腕を相手の肩に掛けて、いち、に、さん、と気合いを入れる.
これが問題.意志が有っても身体の動きと連動しないから、自分の体重に負
ける.ここでタイミングにずれが生じると硬くなている筋肉や、脆くなてい
る骨にダメ−ジを与える.且つ又、支える人にまで思わぬ運動重力が掛かり
腰等を痛める結果になる.全て年寄りの状況次第で対応の仕方が違う.
一連の技術的トレ−ニングは経験を積む事で身に付くだろうが「お年寄り」
を知るには(そんな事出来る訳が無い)出来るだけ自分の目の中に親しむ事
ではないかと、誰でも言い、知っている事を、この歳で気がつくなんて、全
く馬鹿もいいとこ.
脳の働きと肉体の運動能力が歳と共に反比例する、そして時には苛立ちを覚
える、こんな事が日常茶飯事の私自身を顧みれば理解出来る事なのに、それ
すら忘れてしまう.
「本当に大丈夫のか?」そんな声が聞こえてくる.
0月0日
午前十時から年寄りの頭の体操を兼ねたビンゴゲ−ム.部屋から出たがらな
い年寄り達を一人一人誘い出す.私の担当するテ−ブルは車椅子四人、歩行
器二人.年齢総計五百五十歳.六人に見つめられると、柄にもなく鼓動が高
なり、気持ちの乱れを隠そうと一人一人に声を掛け、私なりの心構えを作る.
だが、食べるビスケットの欠片をぽろぽろ零すお爺さん、震える手で十字架
を握るお婆さんナン(尼)、コ−ヒ−の雫を手で拭う九十二歳のお婆さん、
腰と首がお腹を圧迫しながら下から目だけを見上げるお婆さん、眼鏡の奥に
目玉が四つ見えるお爺さん、みんなに私の落ち着かない戸惑いを見透かされ
ている様な気がする.
ビンゴのシ−トの番号にマ−クを置く.真面に自分でチェックするのはナン
だけ.
ビスッケトのお爺さん「3にマ−クして」「解かっているよ」と8に置く.
「3だよ」「今、置く!」30に駒を置く.
私が3に動かすと「俺の駒に触るな!」
一人は全くゲ−ムに参加しない.
下から見上げるお婆さん「トシ、何番なの」「13番」気を利かして駒を置
こうとすると「自分でするから番号だけ教えて!」「OK」
九十二歳のお婆さんと四つ目のお爺さんが隣り合わせ.
お爺さんの右にほんの一と欠けらのビスッケト、それを右隣のお婆さんが、
それも左腕で、そろりそろりと伸ばし取ろうとする.もう一寸で届きそうに
なるとお爺さん、如何にも意地悪そうに動かす.私はハラハラしながらその
繰り返しを見る.他のビスケットをお婆さんに渡したが「私はあれが欲しい」
隣の菓子を欲しがる.それをやるまいとする.
どうしたら良いのか.
年寄りと私の間にある差は何だろう.私は自分の中に渾然たる人間の融合を
見たような気がして、戸惑いが安らぎに変化した.
年寄りが生きている.
生きようとしている.
生きなければならない生命力.
年寄りの尊厳も.プライドも.威厳高い人格も.
私の無力に新鮮な渇を与える年寄りの大きさ.
邪念、妄念に凝り固まった私を素直に「無心」の安楽に導く.
日常のこんな簡単な事を知らなかった.と言うより知ろうとしなかった.
馬鹿げた事だが、私自身が年寄りの年代に入る事を意識したくなかったのだ
ろうか.私の脳と肉体が老齢化するなんて思いたくない.怖い.
このボランティアに入って自分の愚な本音を知った.
SCにJ爺さんを迎えに.
帽子を深々とかぶり玄関の椅子で待つ九十六歳の姿.
肩に手を掛け「今日は楽しかった?」J爺さん「 」無言.
歩行器の前に立つまでの「どっこいしょ」とは言わないが、時間の掛かる間.
備え付けの車椅子を持ってきて「乗った方が楽だよ」「そんな物、いらん」
車までの6〜7メ−タ−に7〜8分.途中、ほんの僅かな段差に奮闘.それ
を助けようと歩行器に手を掛けると「触るな、自分でやる」
私の思いが年寄りの思いと噛み合わない.それだけ私は自分の思いを押しつ
けようとしている.年寄りの尊厳と共にペ−スまで奪ってしまう浅羽かな私
の知恵.年寄りの環境に身を置きながら、またまた年寄りを知らない一面に
「また しっぱい しちゃた」
「トシ、ありがとう」J爺さんはダイヤモンドの輝きに優る言葉を私に残し
てくれた.その後ろ姿に遠い日本で誰かの世話を得ている母の姿が重なる.
「もがきながら考え感じ、意識して自分を好きな様に表現しながら、自分の
生きている環境に愛しさを覚える」そんな自分の姿を鏡に写し出される日が、
何時か来れば良いと思いながらの自然な挑戦.
「ボランティアをしている」なんて意識して言えば「ボランティア行為」が
色褪せる.
「人は助け合っていかなければならない」なんて大げさな言葉も必要ない.
人と人が何かを行動し感じる事で繋がりが生まれ、助け合えるとしたら、
正に「ボランティアの心」ではないか.
MCS.Mercy Community Services
病院を主体とする福祉事業法人.
SC.SUBIACO(地名)Community
地域(公共)が運営するSociety
CF.ガン患者をサポ−トする公益法人
O’C.精神病、障害者をサポ−トする福祉法人
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