私のボランティアNO27
(何となく、挑戦) 広瀬寿武
十月の日を刻んだ途端に、我が家の空気が思いもしない色を染めた.
米びつの中に残った米が掌の上で数えられる程になり、貧乏もここ迄来ると
貧困感が麻痺する.それでも底知れない私の能天気な様.
気の毒に、見兼ねた妻が奉公に出た.一月前から準備をし、試験と言うか、
インタビュ−の予行練習をしていたが、たった二人の募集、それも造幣局の
曲がりなりにも公務員.「受かる訳がないよ」と一寸小馬鹿にしていたら、
採用された.「うそ−!」
妻の究極の目的−現地の社会生活に溶け込み、ビジネス界で自分を試してみ
たい希望−が実現した.
一月はトレ−ニ−.朝八時過ぎ家を出て夕五時に帰宅.慣れない仕事で疲れ
ているだろうと思いきや、生き生き溌らつ、笑み全身で一日の成果を発表す
る.聞き役の私と娘、妻孝行、親孝行とじっと我慢.
仕事は7days week、土、日曜も働き平日代休.
妻が奉公に出た生活の経験が無いので、最早パニック状態.これは妻にも責
任が有る.余りにもスポイルされた日常.口を開けていれば腹が満たされる
習慣を良しとしたのは妻なのだ.何でも妻の勢にする、ぐうたらな私にした
のも妻・・・・.開いた口が塞がらないと.無理にでも塞いでくだされ!
十月から始まった妻の挑戦.
そして私の挑戦と繋げたいが、私には何かに挑む様な力んだものは全く無い.
ボランティア行為だって挑戦する様な特別な事だと思ってはいない.
目覚めて新聞を読み、TVを見て朝食、予定を立て仕事をするか趣味に没頭
するかを決める.寝る前に歯を磨く、日々の当たり前の暮らしの中に、それ
等と並列している私のボランティア.その日のコンデションで飯の美味不味
いが有るように、ボランティアに出掛ける気分も一定しない.いい加減と言
えばそうなのかもしれなくい.そんなもんだよ、凡凡人の私のボランティアは.
十一月から来年二月に掛けて来客が多く、旅行計画も有り、休まなければな
らない日が続き、他のドライバ−に迷惑を掛けるためと、四年を区切りに責
任のプレシャ−から開放されたくなり、CFのボランティアを止めた、が.
我が家の空気の色を染めたもう一つの起因は、
Mercy Community Services(MCS)
Association for the Blind of WA(ABWA)
O’Cに加え、この二カ所のボランティアが始まったこと.
先ず、MCS.
Mercy hospital(Mt Lawly)
Mercy Aged Care(Nursing home&Senio
rs centres)
Mercy Community Care(Child、Youth、
Family、Drugs&other addictions cous
elling support services&Care Centr
es.
要するに総合病院を主体して老人ホ−ム、学校等と多くの福祉事業を行なっ
ている福祉法人.Catholicの宗教団体が母体、WAに於て百五十五
年の歴史を持つ.
VC of WAから行くように言われ、取り敢えず訪ねたが、余りの広大
さに戸惑った.Cambridge Rdから少し入ったlake Mon
gerを見下ろす高台、その中でボランティア事務所を捜しながら迷ってし
まった.
早速インタビュ−.私のボランティア経歴と推薦状で是非にと.だが私は厳
しいボランティアから開放されたばかり.根掘り葉掘り質問を試み取り敢え
ずやってみる事にした.主体は老人達を病院等に運ぶドライバ−.
双方にテスト期間一カ月.
何となく気楽に始めてしまった無責任な挑戦のために、十月は火を吹いて、
てんてこ舞い.それに止せばいいのに、ABWAから呼び出しの手紙が来て、
また出掛け調子に乗ってしまい、我が身を追い込んでしまい、にっちもさっ
ちも行かなくなてしまった.困った、困った.
その反面、知らない経験が私を刺激して、妻が溌らつとしたのに負けない程
の気持ちを妻に話し、楽しさを身に満たしてもいる.
困った中から食み出した、私の何となく挑戦の様子は次回に持ち越す.
VC of WA. Volunteer Centre of WA
WAのボランティア エ−ジェント
CF. ガン患者をサポ−トする公益法人
O’C. 精神障害者をサポ−トするセンタ−(法人)
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