私のボランティアNO26  
(歳を知る)   広瀬寿武

 九月の誕生日で67歳、もう数年で(三年と書けば余りにも断定的でぞっとする)
70歳になるが、自分では60歳以下のつもりでいる.だが端から見れば残念ながら歳
相応かそれ以上らしい.若く有りたいと思う、そのこと自体が最早若くない証拠だと指
摘され「この野郎!」と手を振り上げて見たが、打ち下ろす当てもなく、浄瑠璃の一節
「四郎二郎じだんだ踏んで、エ、任臣共、むざむざとは死ぬまい」傾城反魂香の中の振
りを真似、悔しさを蹴散らしたい心境.
CFやO’Cのボランティアの中に入ると私は若く見える?らしい.アジア人は若く見
えるのかも知れない.
「67歳だよ」「見えない、50歳代だよ!」「冗談きついよ」
そりゃ、悪い気がしないが、本当のところ我が身の歳の老いは自分が一番良く知ってい
る.物忘れが激しく、何事に対しても持続姓が衰え、面倒くさくなるのか疲れを覚え、
頭で考える様に(イメ−ジ通りに)身体が言う事を聞いて、動いてくれない.頭は回路
の到る所でショ−トして回線が接続しないか、とんでもない回路に繋がり意味不明朗な
回答をする.
「そうさ、分かっているんだよ.分かるからこそ悔しいんだよ.馬鹿みたいなんだけど
反抗しなければ歳に食われる様な気がして.意味が無いのにネ」
CFでのボランティアは歳に対する「まだ若いんだ、第一線で出来る気力も体力も十分
有る」と言う意地が私の背中を押していた.だが最近、ボランティアが無事終わり家に
帰ると、しばらく放心状態が続き家族との会話にも乗る気にならない.
「無理して身体を壊したら何にもならない.四年もやったのだから、そろそろ良いん
じゃない」
「いや、まだまだ大丈夫.出来るよ」弱音を見せたくない意地.(馬鹿だよな)
朝八時から午後四時を過ぎるまで昼食抜きで、ハンドルを握り安全運転に緊張し、ガン
患者の病状、心情に気配りをして、待つ患者への配慮(送り迎えが時間通りにならない)
に気が焦り、自心の苛立ちに対するコントロ−ルの難しさ、心の緊張は肉体の疲労を何
倍にもする.無意識の内にストレスが溜まり血液の流れを悪くして、腰に汗が滲む.
無事に責任を果たし終わった時には心身の緊張が一気に消え、同時に放心状態になる.
(歳かなあ)思いたくないが何処かで認めている.
ドライバ−の中で私が一番高齢.八月初めに二人が辞めるので募集する事になった.
「四年もやったんだから、もう良いんじゃない」真夜中に目覚め思い出した言葉がどう
したことか素直に腹の中に居座った.
翌朝、CFのマネ−ジャ−「九月で辞めます」
その日帰った私は自然に鼻歌が舞った.
「CFは九月で終わりだ」「無事に四年間、良くやったよ、ご苦労さん.歳なんだから
無理しないほうが良いよ.私も気が楽になった」妻のほっとした顔.
「歳で辞めたんじゃないよ.暮れにも年明けにも人が来るし、長期で休めないから、迷
惑を掛けないために辞めたんだ」
(そう、自分自身を納得させたのは年齢ではない?)
年齢に対する見栄と矛盾が交差して納まらない.私の無意味な本能は凡凡人の証拠. 
馬鹿でもちょんでも若く有りたい.
CFを辞めるとボランティア協会に報告したらBlindの人をサポ−トする仕事と他
の団体のドライバ−のボランティアをやれと案内が来た.
「やるかなア−」「また、若ぶって!」「俺はまだ若いよ!」

O’Cの今月のoutingはriver cruise、来月はroyalshow.
O’Cのボランティアは楽しくやりがいを見つける事が出来る.そして多くのことを教
えてもらえる.だから続けたい.
やりがい、うつ病、性格.馬鹿でいい加減な私には縁遠いい内容だが、夫々に深い繋が
りが有る.O’Cでの経験で興味深い関連性を見るにつけ、私の気楽な性格も捨てたも
のではない.
「年寄りの道楽」と私のボランティア行為を嘲る人もいるが、無責任な道楽でボラン
ティアをしては受ける側にとって迷惑な話しだ.だが、やりがいと楽しく付き合う心身
の余裕はボランティアを継続する重要な条件になる.
加えて、歳を知る素直さも必要かも、と、腹の虫を宥める.

CF.Cancer Foundation of WA(Inc)
ガン患者を多面からサポ−トする公益法人
O’C.精神障害者(精神病患者)の生活、社会復帰の為のディサ−ビスサポ−トセン
タ−(Inc)

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