私のボランティアNO24 広瀬寿武
(私の反省)
私の所に友人の紹介でボランティアを経験したいと言う21歳の女性が来
た.今までも数人の若者を友人やボランティア協会の紹介で世話をしたが、
日本での経験を英語圏の中で試してみたいと言う希望が有った.
今回の彼女は全くの未経験、言葉もコミニケイションを取るには疑問が有る.
さてどうしたものか.今までもそうだが自分の都合で(日時、日数、選り好
み等)ボランティアを希望しても受けてくれる団体は少ない.特に数回の経
験の為に指導教育(手間隙を掛ける)する余裕が無いのが現実.面倒臭い気
持ちも理解できる.結局は私の保証と私の勤務?する日時に合わせ、私が責
任を持つ事でO’CとCFに頼んだ.
我が家に面接に来た折りO’Cに就いて、精神障害者が集まる施設である事、
彼らは専門家の診断、決定により社会的に保護をされ福祉的な支援を受けて
いること等を、偏見と差別を感じないように説明した.
三日間、三回の彼女のボランティア.彼女なりに努力をして無事にこなした
のは私にとっても幸いなこと.だが同時に私の無知な面がはっきりして、反
省材料を明確にした.今まで経験を希望した若者から得られなかった、私自
身のボランティアに対する粗雑な意識.
人それぞれ人間力も思考力も違うのは当たり前、誰もが解かり切っているこ
とだが、それだけに気遣いも薄れる.
21歳と言う、それも女性の年代の思考力に私は余りにも無警戒過ぎた.
精神障害者が集まる施設、偏見から差別されがちな彼等を社会的、生活的に
サポ−トする場所.二三回来るだけの彼女には十分な説明だろうと、れで十
分な思考力が働くだろうと、私なりの粗雑な思い.
最近の若い女性のファッションなのか、臍を出しズボンを腰で支える.
年金を貰う年代の我々から見ると、今にもずり下がって来るようで心配にな
るが、ヒップの丸さに上手く引っかかり、そして又、人目を引く.
このヒップの肉付き加減が味噌で、上手く引っかからない場合は?
21歳の彼女のズボンは何時も下がり加減、股下もそこらでスケボ−に興じ
ている兄チャンみたいに、だぶんと落ちぎみ.勢い、彼女の動きに合わせ、
特に屈み加減になると、色物の下着はもろ見え、そこから尻の割れ目が食み
出す.
「あ、あぶない!」男達の目、目、目が色づく.
「おい、深い中まで見えたぞ!全部見せてしまうか」私は彼女のズボンとパ
ンツを摘んで引っ張った.
「いやだ、見せる様なもんではないよ」ズボンを腰まで持ち上げた感覚に何
の思考も感じない.
一連の私の行為は紛れもなくセクシャルハラスメント.だが、精神障害者が
何らかの行動を起こしたら、彼等の精神に刺激を与えたら、大げさだが加害
者は彼女.法的にも精神障害者は保護の対象になる.日本でも精神障害者の
事件が報道され広く知られている、と、思っていたが.
「普通の人と違いが解からない、私がボランティアをされているみたいで楽
しい」
「でも、間違いなく病気の障害を持っている人達なんだよ.忘れては駄目」
二三回の事だと面倒臭い思いを避け、下らない話で一日の関わりを誤魔化し
てしまった.楽をして彼女に楽しい思い出を残そうと良い子になてしまった.
これで良かったのか?せっかくボランティアに関わろうとした彼女に、私は
間違いをしたように思う.
21歳、このくらいの事は思考の範囲以内だろうとした、私の勝手な考えは
ボランティアに対する冒涜に繋がり、彼女に対しても親切でなかった.
ただ、この環境を全く知らない若者に詳細な考え、接し方、注意事項を話す
と返って神障害者と言う人達に対して、無意味な偏見と差別感を抱かせる心
配がある.分厚いO’Cの英語の説明書を読めと言うのも無理だ.
人に真心を持って対応する事と、病気と言う本質、その事実を理解する事と
は同一線上には無い.
例えばO’Cではキッチンの中へメンバ−が入るのを禁止している.
Sub、O’Cは建築構造上、厳密な区切りが無いが、意識して注意をする.
(他のO’Cは入室が出来ない様に仕切ってある)
刃物類(包丁、鋏、ナイフ等)火、熱湯、危険物に近づけないようにする.
病状で事故を起こす事は絶対に許されない.私は四年間のボランティアの中
で意識しながら葛藤した事でもある.メンバ−の純粋な心を傷つけはしない
か、でも、厳しくても事故を起こさない為には、限度の加減が難しい.
彼女に興味を持つメンバ−が近づきキッチン内をうろつく.彼女も気楽に
はしゃぎ応対する.私は言葉巧みにメンバ−を外に出すが、彼女の方に病気
に対する警戒心が無いのを見破り、気分の良い方に近づく.
ソ−シャルワカ−が彼女をゲ−ムに誘いメンバ−と共に連れ出す.
病気にそれとなく気遣う我々の行為を彼女は理解したであろうか.
「ボランティアをされてるみたい、こんな楽なボランティアなら何時でもし
たい」私を反省させる言葉として痛烈に印象に残った.
CFではJとCに頼みロッジの清掃を手伝うことにした.
三人の女性で約50部屋の清掃をしているため、手際良く進めなければなら
ない.仕事も単純で若い彼女の体力では難しい事ではない.普通の部屋の清
掃と違い、病室を兼ねているため薬剤を使用する.その匂いも厭わず献身的
に体を動かす.心配になり仕事の合間に覗く私にJとCは汗を拭きながら
「トシ、良くやってれて大変助かっている.心配いらないよ」
「それは良かった、面倒を見てくれて有り難う」
「優しく教えてくれるし、言葉が解からなくてもそんなに気にならない」
彼女の笑顔を見て心配も無く礼を言われ安心して私の仕事に専念出来た.
二週目の前日「車のトラブルで遅れる」との連絡で当日JとCにその旨伝え
自分の仕事に就いたが、没頭出来ない.何度となく覗きに行くが、その度に
「トシ、まだ来ないよ、連絡が来たか?」「もう来るだろう」何かの都合で
遅れ、その内連絡が来るだろうと疑っていなかった.
昼が過ぎ、一時、二時、JとCに顔を合わすのを避けながら彼女からの連絡
を待った.とうとうその日は連絡無し.前週二日間の彼女の献身的なボラン
ティア行為に感謝をし、今週も期待していたJとCに言い訳をする苦しさ.
「明日は来るのかしら」
21歳の彼女の良識に期待して私から連絡を敢えてしなかった.翌朝一時間、
携帯のベルを待ちながらCFの玄関で待ったが.
ボランティアは飽くまでも本人の自発性.だがボランティアをしたいと言う
彼女を私の責任と保証で頼んだ手前、言い訳するのは辛い.
本人言わく「車の都合が悪かったから」「翌日は?」「行く事になっていた
のかしら?」「だって、前の週に二日続けたろう」「ああそうか.行けば良
かったね」「電話連絡を待っていたんだよ」「そうか、すいません」
献身的な協力と気楽な思考とのギャップに戸惑いを覚えた、私のボランティ
アに対する粗雑さが招いた反省すべき内容.
CFにはWAで一番多くのボランティアがいる.約280人.その内日本人
は正規には私と、テンポラリィにホスピスでサポ−トする看護婦の二人.
「日本人は」と後ろ指指されぬ様に無意味とも思われる様な、詰まらないプ
ライドがある.いい加減だと言われたくない.
なのにどうしてこんな事になってしまったのか.
「ボランティアと言えども、無責任で有ってはならない.気遣いと注意が必
要だ」と21歳の年齢と無関係にコミニケイションを密にすれば良かったと、
そうすれば彼女のボランティア行為の自主性により良きプラスの要因が加味
されたのではないかと、私の反省は尽きない.
O’C、 精神(病気)障害者(メンバ−と呼ぶ)を社会復帰させる為の
ディケェアサポ−トセンタ−.
Sub O’CはSubiaco本部センタ−.
CF.ガン患者をあらゆる面(精神的、経済的、治療面等)からサポ−ト
する政府系公益法人、ヘルスミニスタ−が法人代表.
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