私のボランティアNO21
(私のボランティアの行く末) 広瀬寿武
昨年の12月から1月にかけて、青春時代の仲間が立て続けに私をからか
いにやって来た.
あの時代、高校でもそうだが、大学時代は住宅難の東京で三畳、四畳半の
薄暗い部屋を間借りして、親からの送金が来るまでの繋ぎに、質草を融通し
合い、それでも結構楽しく悪友相哀れむ心を持ち合わせていた.
それぞれの社会人生を逞しく走って来た顔には、相当の垢がこびり着き自
信に満ち満ちている.会社の社長、役員を退職した者、自営自社を引き渡し
た者等々、今はただの熟年爺さん.
名刺の中に仰々しい肩書きが有った頃から、今も変わらず「おい、おまえ」
で空白も無く、心が開ける「わんぱく」と「ちょっとした秘密」を共有する
仲間.青春がそのまま異国でたなびいた. 校歌、応援歌が芝生を這った.
心置きなく楽しむ時間は矢のごとし.
その間も私のボランティアは休み無し.
来たリタイア組の何人かはボランティアの経験者、又は継続中.
「時間に余裕が出来、年金も入るので生活に支障はない.ボランティアを通
して、自分の心が豊かになった」と.
時間と贅沢ではなくとも生活費に余裕が出来て、初めて義務と責任を持てる
ボランティア活動に参加できる.ボランティアをしたいと奉仕の心を持つ人
は数多くいるが、現実では難しいのも事実.ここオ−ストラリアでもボラン
ティアの種類は何百と有り、テンポラリに参加出来るし、多くの人がその活
動に参加している.
「そんなボランティア?」「大したボランティアじゃないね!」
どんなボランティアであれ、ボランティア行為に優劣は無い.
時として人は優劣を付けたがる.だがこの価値有る精神にどのような優劣判
断をするのだろうか.同時にボランティアをするか、しないかは人それぞれ
の価値観の問題だ.ボランティアをしている人が傍観者を批判する間違いを
してはならない.
言い換えれば「ボランティア活動、行為」は人間社会に於て、特別なことで
は無いと考える.これは私のボランティアが日々の生活の中で「飯を食う」
のと並列に有ることからの実感.
だから「今日は食欲が無い」「おかずが少ない」「味付けがいまいちだ」と
文句を言うのと、ボランティアに出かける気分が優れないと「ぶつぶつ」
言いたくなるのと並列なのだ.
青春の仲間達が別れの寂しさを残して帰ってしまた.
その翌日のボランティアには、気がそぞろ.
「トシ、何かあったのか?」
「私ももう年かな−.自分をコントロ−ル出来づ、みんなに気を遣わせた」
私のボランティアの行く末が見えて来たような気がする.
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