私のボランティア NO17 広瀬寿武
(INTERNATIONAL FEDERATION ON
AGEING 6th GLOBAL CONFERENCE)
MATURITY MATTERS
27−30 OCTOBER 2002
一年間の準備をしたIFAの会議に妻と共にボランティアとして参加した.
日時は忘れたが、ボランティアのリ−ダ−Mrs Aに会った折、雑談の中で、
そんな話が有った.
「で、何をするの?」「日本人が大勢来るのでInterpreterやってくれないか」
「冗談でしょう!私の英語力で、そんな無責任な」
断る以前に出来ない話と、忘れていたが、妻が日本へ行った留守中、Aから、
事務長のNからもメ−ル、Volunteering WA(VWA)のG
からと連絡が入り「妻が帰るまで」と返事を延ばした.
帰国した妻に話すと「冗談でしょう.私達の英語力で通訳なんて、馬鹿じゃ
ないの.出来るわけないでしょう」案の定、話にならない.
会議の一週間前、Aからの呼び出し「取り敢えず話だけでも聞こう」
そのつもりでAに会ったが「兎に角、Interpreterを」
ユニホ−ムを渡され時間と日日を指示された.何のミ−ティングも受けてい
ない我々に出来るかと不安が募り「他の英語の出来る日本人の手伝いをしよ
う」と取り敢えず引き受けた.
だが、考えてみると無責任この上ない.一種の技能的な仕事.私は今CFの
送迎ドライバ−をしているが、運転の能力に自信が無ければドライバ−とし
て無責任で有り、相手に精神的、肉体的な迷惑を与える.ボランティアであ
るからこそ無責任で有ってはならないと、私のボランティア経験の中で得た
ボランティアの在り方.「無責任にならない様に出来る事をしよう.通訳な
んて、無理だわ」と妻.
二日前「初日は日本人の会議がメインだから、八時までに来てくれ」
「そんな!10時半から2時半までのはず、他に誰か居ないの?」
「リ−ダ−のToni打ち合わせて!二人で、頼む」上手く乗せられて気が
重い.どうなる事やら、7時に家を出る.我々は当日のDr D、SEZU
KIの講演を聞く予定していたのに.
日本からの参加者の色々な便宜等を計らい朝から忙しい一日.発表会場の打
ち合わせ、参加者の誘導、対応、頭の回転する限りの応対をる.メイン会場
にはプロの通訳を置いたが、分科会の会場には配置していないため、数人の
人に通訳を頼まれ「無理です」と断ったが「私よりは良いでしょう?」
「専門用語は日本語でも分からないのに」「頼みます」遣り取りの内に会議
が始まり、拙い訳で迷惑を掛けてしまった.でも一つ私を励ました事が有っ
た.現在の私のボランティアはガン患者、精神障害患者に接する医療の現場
にいる.今回の会議の老齢化問題に共通する所を、言葉を超えた感覚で理解
でき、感覚で通訳?して伝える面白さ.だが無責任は謝らなければならない.
十九カ国からの参加.国情(宗教、歴史、経済、民族構成、教育事情等)の
違いは有れ、老齢に伴う諸問題に立ち向かう意義を共有し、知恵を出し合い
研究する姿は、すでに老齢の境地にさ迷う私に勇気と希望を与えてくれた.
これはこれからの私のボランティアにも影響し刺激となる.
こんな事も有った、一つの例.
在宅看護の発表の後に数人のオ−ストラリア、アメリカ、ドイツ人と話す.
「看護される人の現状の内情は理解出来るが、介護する人の人権はどうなの
か」宗教的、民族的歴史、国民感情の深層を「権利」と、どの様に絡めて説
明をしたら良いのか、難しい質問に適切な回答が出来ない.先日ABUの発
表が有り「脳溢血で倒れ寝たっ切りになった老母を若い嫁が献身的に在宅看
護をする」ドキュメントを韓国のTV局が放映した.
トイレに行って側を離れた嫁を探して泣く老婆.戻った嫁は老母に重なり
「大丈夫だよ、愛しているから」と共に泣く.尽くして尽くして愛情を注ぎ
看護する.嫁の人生は?権利は?
老母が他界して嫁の精神的、重労働は開放された.だが、嫁は一言ぽつりと
「身体は楽になったが、本当に満足してもらえるだけ、尽くす事が出来ただ
ろうか?後悔に心が痛む.後悔し続ける事が母に対する私の義務だ」
私にも九十に近い母がいる.二年前に骨そしょう症で倒れ、歩行困難なった.
GP(ホ−ムドクタ−)のアドバイス「家族が在宅看護(そんなに深刻な考
えを持っていなかった)するのは大変だから、ホ−ムを紹介するよ」
Drは母の看護を専門のホ−ムに任せた方が母のためにも良い、同時に家族
が母に拘束されず、生活を維持出来ると、当然の様に言う.全くその通りだ
が、私達には何故か抵抗が有った.母が英語を解さないと言う以前に、家族
は共に生活をし、苦難を共にする自然な生き方が成長環境の中で血肉になっ
ているのか.
「何が有っても私がお義母さんのお世話をするから、心配しないでね」
妻の東洋的な考えとDrの西洋的な考えを、理屈や思考だけで説明するのは
難しい.
老齢化を切実に私達に感じさせた母も、今は日本の老人ホ−ム.
「お義母さん、もう二十五年も一緒に暮らしているのよ.安心して私に任せ
て」「でもね、これ以上身体が動かなくなると私も辛いけど、家族に迷惑を
掛けるから」妻と母の会話に東洋、西洋的心情の如何を問わず、老いる現実
が有る.
人間環境の違いは深く広い.福祉の内容には経済的、高額負担、肉体的負担、
システィムの矛盾等を抱えているが、今回の会議ではそれに立ち向かう多角
的な研究、企業的な意見等を持つ人と出会い、私にとって大変有意義なボラ
ンティアであった.それは取りも直さず即、私のボランティアにも役立つ.
O’Cの精神障害者は運動不足、あまりアクティブに興味を示さない.食べ
て寝るだけの肥満体製造機.どうすれば良いか、老齢の人達に興味を与える
一種の暗示的教育は参考になる.
CFのがん患者の精神的不安に対しても、老齢化の中で共通するものが多々
有り、頭の隅に残した.
交わした四十枚を越す名刺を見ながら、一つずつ有意義な話を思い出し有り
難く整理をする.
通訳と言うボランティアに不安を持ちながら、何とか無事に終わったが、力
不足で迷惑を掛け、無責任で有った事は確かで、謝るしかない.
だが、この経験の中でボランティアの必要性を新たにした事は、私のボラン
ティアにも、新鮮な空気を吹き込むだろう.
E−mail、 toshiyok@iinet.net.au
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