私のボランティア NO16 広瀬寿武
「さぼりたい」ことも有る.
時の流れは気の持ち様で早くも遅くも感じるが、特にここ十年、五十の年
齢を過ぎからは、一年が十カ月で吹っ飛んで行くような気がする.だからと
言って忙しなく追い立てられている訳ではない.目覚めて寝るまでの内容が
満たされ、その上、意地汚く欲張るから何かを犠牲にしなければならない.
宇宙の哲理の中で凡人にも満たない私の一日なんか問題にもならないが、私
の命が存在して、初めて宇宙の生命哲学と関わる.そんな高尚な事を考えて
時の流れに身を任せたらきっと時が輝くだろうが、私の時は私の能力の範囲
を越えることはない.
妻と娘が九月の十日から一カ月日本へ行き、我が家には目も鼻も効かなく
なった犬、尻の始末が侭ならぬ老猫、餌をねだる池の金魚25匹と100匹
以上のメダカが残され、一日の時間を十分に埋めてくれる.
そして確実にやって来るO’CとFCのボランティアの日.
「ああ今日も無事に終わった」と思ったらまた直ぐやって来る.
「トシ、明日は八時が最初の予約、遅れずに来てね」CFからの電話.
日の過ぎるのが早いこと早いこと.長いと思って文句を言った一月の留守番
があっと言う間.
犬、猫、金魚達の世話とCFとO’Cでのボランティアが、同一線上で
淡々と時を食う.愛犬に「来週はママが帰って来るよ」と言いながら「今週
のボランティアが終わったら妻が帰って来る」と胸で日にちを数える.
すでにボランティアは私の生活の一部になって、特別な事ではない.生活の
バイオリズムの中で何事も常に最上の状態を保てればこの上ないが、気分の
乗らない、自分を持て余し戸惑う「時」を処理する難しさ、その連続の中に
私のボランティアも有る.大体、妻が居ないと言うだけで正常ではないのだ
から、体調にも影響して風邪の攻撃に心身が痛められた.
「今日のボランティアをさぼりたいな」夜明けの蒲団の中で思う事しばしば.
子供の頃、宿題を忘れて学校をさぼる思案をした光景を思い出す.
「さぼる訳にはいかないな、予定が組まれ責任が有る.仕方がない起きるか」
理由はどう有れ自分との葛藤の末、責任の思いが優位に立つ.
時が流れ日が変る早さ.三年間続いた私のボランティアの心中は、決して純
粋なものではない.
或る人が「ボランティアとは何でしょうね!」と皮肉ったが、ボランティア
の精神、理屈を表面に出し、もっともらしい顔をしながらボランティアを出
来る程、聖人ではないので皮肉を素直に受け入れるしかない.
O’C. ロイアルショ−へ、約40人、ソ−シャルワ−カ−2人、ボラン
ティア1人.恒例の行事.毎年、何かしら想像のつかぬトラブルが起る.
ミ−ティングを重ね心構えは出来ているが?だが、今年も有った.
煽り立てる呼び声、心浮き立つBGM、はしゃぐ人混み、この環境の違いに
O’Cメンバ−も興奮する.A$10の小遣を手に、所狭いしと立ち並ぶ売
店で目の色を変える.私の側には九人、雑踏の中を勝手に動き回る.
見失ったら探すのが大変、前回で経験済み、無理に余裕の笑顔を作り神経を
九人に注ぐ.「トシ、ド−ナツ欲しいいか」「風船は?」「イヤリング欲し
いか?」みんなも私に気を遣い優しい.絶対に駄目だと禁止されている乗物
に乗りたいと言う.「俺も乗りたいけど、駄目なんだよ.お金も無いしね」
こんな言い方で納得出来ないとは思うが「OK、OK」と私を楽にしてくれ
る.一緒につるんで歩く心の通い合った仲間、図体の大きな大人達の中に小
さな私、異様に見えるのか、ふと、避けて行く人もいるが、私はこの仲間達
が大切で好きだ.一緒の時間に心豊かな人間愛を感じる.
センタ−では見せない思い遣り、その純粋さに我が心の不純さが洗われる.
私の「さぼりたい」気持ちを押さえO’Cに引きつけるのは、出来損ないの
私に多くの事を教えてくれる仲間が居るからだ.仲間達の人間愛に助けられ
三年も毎週毎週、続けて来られた.感謝したい.
或る人が「三年なんて長くはない」と皮肉ったが未熟な私には長い三年.
そんなこんなが身についてぶらぶら二時間、昼食の待ち合わせ場所に全員集
合.買った物、見た物に話の花が咲き興奮が頂点に達した.
突然一人が倒れ口から泡を出す.そしてもう一人.Epileptic
(てんかん)と分かったが私は慌ててしまった.ソ−シャルワ−カ−が手当
をしょうとした時、取り巻いた人混みの中から、屈強な女性が駆け寄り木の
枝を布に巻、口に挟む.
「アンビュランス!」入場の折に何となく目に止めて置いた場所へ一目散.
入り組んだ道が恨めしい.人の好奇心は何処も同じ、黒山の人集り.
ワ−カ−のPが付き添い病院へ.残された引率、私とワ−カ−の二人.
動揺する仲間を二手に分け、午後三時まで.一番動揺しているのは私.
その上、説明の付かない責任感に緊張して頭の中のフュ−ズが吹っ飛びそう
になる.「トシ、心配するな、大丈夫だよ」百二十kgも有るMに背中を突
かれ「そうだな」「そうだよ」みんなが頷く.又々仲間に助けられほっとす
る.「有り難う、みんな」心の中で心底感謝する.この日も「ああ、何とか
責任を果せた、良かった」と自分自身に言い聞かせ胸を撫でた.
ボランティアの現場は厳しく責任を感じるが「ボランティアとは何でしょう
ね」と皮肉られた言葉を考える程の余裕は、今回も無かった.
疲れ切ってぼ−としていた夕方、CFから「トシ、明朝八時までに・・・」
風邪で体調が優れない.早めに蒲団にもぐり明日に備える.
目覚めた時の自分の体調を感じる暇は無い.犬の散歩、妻が作り置きした料
理をチンして味わいCFへ急ぐ.
レセプションでの打ち合わせ、十数人のお客(患者)の予約.
今日も無事に責任を果せる事を唯々願ってハンドルを握る.
ボランティアが嫌だから「さぼりたい」と思った事はないが、時には「さぼ
りたい」と思うのは凡凡人にも至らない私の幼稚な人間性.
O’C、 精神障害者をサポ−トするボランティアセンタ−.
CF、 ガン患者とその家族をあらゆる面からサポ−トする州政府も関与
する組織.私はドライバ−として患者の送迎を担当.
E−mail、 toshiyok@iinet.net.au
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