私のボランティア NO13 広瀬寿武
三年間、よくも義務と責任を持たされた厳しいボランティアを続けて来れたと、
我ながら感心する.妻をはじめ関わる多くの人達の協力が有ったからこそ出来た.
ボランティアは当の本人だけでなく、支えてくれるボランティアの心と共に有る.
その事を深く認識すると共に感謝しなければならない、と、弱音か愁傷な事を考え
るのは、ボランティアに関わり人間が少し成長したのか、年のせいか.
「こんな位で成長したと思う年齢」を嘲笑う輩の顔が目に浮かぶ.
「あいつは幼稚だから出来るんだよ」・・・ううん・・そうかもしれない.
WAボランティア協会からの紹介で現在のボランティアをすることになったが、
私の無知が幸をもたらしたのも正直なところ.
「トシ、ここへ行ってくれ」「OK」「詳しい内容はそこで聞け」
医療関係に携わるには講習を受け、或る仕事は資格が必要.簡単に考えていた私の
無知さ加減.「そんなの嫌だ!」「これは騙しだよ!」人の気も知らず、部屋に押
し込められ?講義が始まり、逃げられなくなった.朝の八時半から四時まで四週.
毎回、一人二人と欠けて行くのを見ながら「俺は絶対やり通す」と馬鹿さ丸出し、
最終には半分になり、その中の数人が資格証を受けた、その一人になれた.それな
のに同期で現在まで続いているのは私だけ.どう言う事だろう?
協会、CF、O’C、V Meeting等で話題になる.
大半のボランティア行為は従事する人の都合を重視すると共に、人数も十分にいる.
だがCFの様に、特に私のいるLodgeでは月から金曜日までDriverは
一日一人、休めば他の人に負担を掛ける.患者は私達の来るのを当てにしている.
私は毎週木曜日、完全に「待った無し」のボランティア.従事する人の負担が大きい.
そこでRelief制を提案、定着するまで時間がかかる.何週間も前に休みがわ
かれば良いが、急だとReliefも困ると.急遽の為のReliefなのに.
「所詮、ボランティアでしょう」「そうです」と言って苦笑いするしかない.
そしてもう一つ.
責任感からくるストレス.スタ−ト前に頭の中でスケジュ−ルを組み立てるが、
病院、医者、患者の都合で予定通りにいかないのが常時.車のスピ−ドを出すわけ
にはいかない.次の患者、他の病院にいる患者が送迎を待っている.気が焦る.
RPH、RFH等、大きな病院は迷路の様に複雑で、結構歩きでが有る.地下三階
まで待ち切れず捜しに行くと、疲れ苦しいのか歩けないと言う.気を利かして車椅子
に乗せ連れて行こうとして、レセプションに叱られる.車椅子を扱う専門の担当の
仕事、院内の事は院内で責任を持つ.だが人数が少ない.何時まで待たされるか解
からない.こちらの予定の時間との兼ね合いで苛々する.ストレスが何倍にもなって
溜まる.「無償、無料の奉仕」それは良いが、待っている患者を思う責任が心を苛む.
「やっていられないよ、な」長続きしない人の気持ちも十分過ぎる位理解出来る.
だが私自身、無理をしているとは思っていない.鼻歌交じりとはいかないが、休むと
何か物忘れをしたような淋しさを覚える.
時には空車の中で「本当に、やってられないよ!」独り言.それでストレス解消.
誰かが言う様に私は幼稚で馬鹿なのか.馬鹿とハサミは使いよう.
「待たせてご免なさい」
「そんなに待たないよ」「雑誌を読む時間が有って良かったよ」
「予約時間が少し遅れたって、心配いらないよ」
私の気持ちを察する言葉に励まされ、一瞬にしてストレスを忘れるから幼稚で馬鹿
丸出し.お陰で三年も続いている.
失敗も沢山有る、と、言うか失敗から多くの事を学んだ.
次はそんな事を書いてみたい.
(CF、ガン患者をサポ−トする、ボランティア200人以上がいる組織.
O’C、精神障害者をサポ−トする組織.
RPH、RFH、ロイヤルパ−ス、ロイヤルフリ−マントルホスピタル)