私のボランティアNO116  広瀬寿武
(自分自身へのボランティア)

パースでボランティアを始めて十数年、私の年齢は限りなく80歳に近づいて行く。
最近、気力、体力とも、年齢に比例するどころか、倍々と減退して行くのが良く解る。
だが、減退に負けていると、人生が「つまらなく」なる。
ボランティアは私の生活間のほんの一部でしかないが、週2回の仕事?は、それなりのプレッシャーになっている。
盲目の人達のサポート、精神障害者のサポートと、常に細心の神経を使うので、老齢の気力を維持するのはエネルギーを要する。
長年従事している慣れと惰性でエネルギーの消耗を感じないが、夕暮れと共に倦怠感が増す。
倦怠感は時折「面倒臭いな」と、無気力になる。

「後何年、この世を楽しむことが出来るかな」と時々、思うことが有る。
気力、体力を維持しない、腑抜けた、ただ無気力状態の日々になると、楽しくないだろうとも思う。

没頭までいかなくても、集中し、熱中する何かが自分の活性化のために必要だと、感じ始めて数年、それが、やっと見つかった。
たわいない事だが。
たわいない人生の勝負のようなものだが「ときめく」
そのエネルギーが愛しくさえなる。
それを考え、調べ、実行して行くプランを作成するのは楽しく、夜中に目覚め、考えを修正、改正、日中も又、それに没頭する気力のエネルギーは尽きない。
人の為ではない、私自身へのボランティア。
来年にはと言う、1年がかりの自分でも笑ってしまう様な人生プラン。
多分、現在関わっている二つのボランティアも終わりになるかもしれないが。
「何かに執着して、エネルギーを沸き立たせる」
これは気力体力を奮い立たせるための重要な要件だと、自分に言い聞かせながら、自分自身の人生のボランティアを励むのは楽しい。
人生は楽しく有って、生きている価値があるような気がする。
だが、自分勝手な我が身へのボランティアであっても、人の助けが有って出来る事を忘れてはならい。
人生は相互に助け合うことで成り立っているとボランティアをしながら、人々からのボランティアで助けられる事実を再認識する。

「さあ、明日はJO’C(精神障害者のサポートセンター)のメンバーを
ロイヤルショウに連れて行く。
事故が無く、迷い大人も出ないように、楽しんでもらうよう、頑張ろう」

自分の為のボランティア計画が、人のためのボランティアに向かう気持ちの良い気力を生む。


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