私のボランティアNO114 広瀬寿武
(不便と幸せの共存)
障害が有ると言うことは不便です。でも、それが不幸だとは限らない。
「不便だから不幸だ」と思いがちだが。
私のボランティアでは盲人と精神障害者に関わっている。
「不便で気の毒」と思い或いは感じ、不幸だと同情するのは健常者に有りがち思いだ。
JO’Cのメンバーは毎月、新しい顔が増える。週1回水曜日。私の勤務外の日にメンバー登録があり、私とは初顔合わせ。
現状の社会情勢の中で、精神障害を患い、また、精神障害の治療をする人が増えている様な気がする。
世の中の進歩と便利さの陰で何らかの苦痛を感じたり、それを受け入れられない人が存在する現実を見ながら、JO’Cで十数年間、ボランティアをしていていると、よく思うことだ。
JO’C、この組織が人間社会の一環として重要な役目を果たしているのも事実だ。だが、しかし、重要であるにも関わらず、組織の自主性に委ねている部分の多いのも現実。何もかも完璧には出来ない事も十分理解するが、長い間、関わっていると、重要と現実のバランスに疑問を感じる。
JO’Cはオコーナ氏の私財で開設されたが、現在は州政府の補助、奇特者の寄付等で運営を行っている法人組織。
私がボランティアに参加した当時は2ヶ所(SUBIACO,FREMANTLE)の2ヶ所だったが、現在は3箇所が増え、5箇所の事業所が有る。
これは即、運営上の財務に大きく影響をする。
設立者の私財には限度があるし、政府の補助とて患者数に比例しない。
寄付とて同じこと。
運営上で重要な経費、人件費にしわ寄せが来る。
5箇所ある事業所に勤務するソーシャルワーカー(常雇いが義務)は10人。パートが6人。全員女性。
ソーシャルワーカーには経験、熟度、教育内容等々が有り、それにより等級の様なものがあり、雇用者がそれを判断し雇用する。賃金はけっして高額ではないが、JO’C内の等級での判断は初心者(低級)で充分としている為、賃金も低い。当然、一家を支える様な男性及び高度な経験を持つソーシャルワーカーは集らない。
Cに集るメンバーの性別は男性が7割、女性3割、年齢は共に40~60代。
人生経験の乏しい20代の女性ソーシャルワーカーでは、メンバー及びワーカー共に不安がある。そこでパートの女性補助者(無資格40代)の経験豊かな協力が必要になる。だが完全に安定した勤務、雇用は望めない。
ボランティア、週1回でも常勤する私が、男ではただ1人。
人生経験、狡さ、種々な面でCに必要な存在になっている。
メンバーと目を合わせ、言葉を交わし、遊ぶタイミング等々、気遣いなく、何となく私に擦寄り「トシ」「トシ」と。
私のずる賢い性格と要領の良さ、同姓、70歳半ばの年齢も感じるのか、本能的に安心感を覚えるらしい。
毎週のouting(散歩、屋代運動、水泳等々)には絶対的に男性が必要になる。
例えば、水泳プール、男性更衣室での世話が必要。
そこで、私の勤務?日に合わせ予定を立てる。私も出来るだけ協力する。
それに無報酬、経費要らず。
ことごとく不便な状態を何とか乗り越えて、メンバーと過ごす1日。
私も気兼ねなく愉快。メンバーの笑顔も楽しそう。同情の様な気遣いは生まれてこない。
JO’Cも種々に不便な運営をしている。
メンバーも障害者としての不便さ抱えている。
でも、JO’Cが存在して、メンバーが居て、私のボランティアは幸せです。
JO’C (C) June O’Connor Centre(INC)
精神障害者のデイケアセンター法人組織
(約900名のメンバーが登録)
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