私のボランティアNO111 広瀬寿武
(自然な心)
最近の日本のネットを見ていると「餓死」と言う見出しを見かける。
日本の物余り、飽食の日々は、あの大震災の被災者にも「餓死」とは無縁であった。情報のネットが一瞬の内に国民の心に伝わり、支援の輪が作られた。
「餓死」の内容の例を見てみる。
「高齢(90歳上)の老女と60代の息子」北海道の市営団地住まい、餓死と凍死。電気ガス、使用停止。冬の寒さを高齢者が耐えるのは困難。
「高齢の姉妹(姉は身障者)」電気ガス使用停止。東北、アパート住まい
「高齢の老夫婦」等々。電気ガス使用停止。関西、アパート住まい。
等々、例のいずれの家でも「ガス」「電気」が止められた状態。
日本の国では、このような状況をカバー出来る余力は充分にあるが、餓死、凍死とは。
何かが、貧困ではないか?
日本では申請によって、福祉の支援が受けられるが、「どの様にして申請をすれば良いのか」分からない人が各地にいる現実。
「分からないのが悪い」と一概に処理できる問題ではないし、又、役所が知り得る情報とカバーを行うにも限度がある。
だが、思いやり、優しさが社会の基本にあれば、悲惨な状態を少しでも回避できるように、支援が出来たように思う。
「ガス、電気を止める」また「水道停止」これは業者、事業体が行う業務。
使用料金の支払いがなければ「使用停止」にするのは当たり前のこと。
徴収義務が有るのだから督促の交渉過程で原因の調査がされ、種種のケースで結果が出る。ここでほんの一寸した、気配り、優しさが企業に有れば、例えば
民生委員、福祉、等々に連絡をし「対処する方法」を協議出来る。
韓国人の親しい友人が「韓国では貧富の差が日本より大きいが、国民、企業共に支援体制が早くから作られている。新聞がポストに溜まっている状態、電気ガスが止められる状態等々には、何か原因が有る。ケースバイケースで相手の心に傷をつけないように優しい支援をする」
「裕福すぎる日本は、小さな優しさを忘れてしまうのかもしれない」と。
私のボランティアとの直接的な関係はないが、ボランティアの心と繫がるような気がする。
暮れから2月一杯、日本から千客万来、それに加え傷めた踵の良くなる兆しも見えず、忙しさと憂鬱な気分も重なって、書き掛けの「ボランティア日記」が完成しないまま3月になった。
「私のボランティア」は暮れも正月もなく週一回ずつ、週2日の出勤?に変わりはない。
昨年は「DEPARTMENT FOR COMMUNITIS」から呼ばれ表彰され、仰々しい額に入った「表彰状」とメダルに商品券(金券)を貰い、又BLINDの協会からも最優秀キャディ賞が授けられ「なんで?俺が?」と思いながらも、気を良くしていた。
既に何回かこのような賞を貰ったが、数多居るボランティア従事者の中から「どの様な基準で選ぶのか」私自身理解出来ないが、くれる物は貰って置け主義でメダルはすでに7個目。
精神障害者のケアーセンター(JO’C)は十数年、盲人のボランティアも8年目になる。
長くなると、頭の中で思いが勝手に回転し、慣れ過ぎの怠慢が、思い上がりを描く。
面倒だとか、小うるさいだとか、自分本位な思いがボランティアの本質を忘れさせる。
だが、彼らとの奉仕の状態に入ったとたん、人間と人間の心が絡み私を助けてくれる。
何も、大げさな立派な事を考えてボランティアを行っている訳ではない。
そんな事を考える余裕なんか全くない。
「今日一日、楽しい気持ちを持ち合い、無事に済めば上出来」
私自身の癒しが有れば満足。
ただ言えることは。
「お互いに思いやりを、優しさを」
これは意識して作り出すものでもない。演出するようなものでもない。
人の心の奥底に沈む宝みたいな情愛か、それが、触れ合いながら思いやる優しさを自然に育むのか。
ボランティアはその一線上にあるのではないか。
満腹感は良いが、一時的。心の豊かさは深い安らぎに満たされる。
「私のボランティアをふと、顧みながら」背中の後ろには長く重く我侭な影を背負いながら、今年も続くのだろうな。
日本の友人から「80歳に近づいた後期高齢者の年齢もわきまえろ!」と。
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