私のボランティアNO109 広瀬寿武
  (四苦八苦のボランティア)

10、11月と、何だったんだろう、忙しくて、毎日何かに追われているよう日々が続いている。
JO’Cではやっとリノベーションが完成して、メンバー達の安らぐ場所が出来た。だが、スタッフ、ソウシャルワーカー(SW)が、絶対数不足している。
センター自体が資金不足、それにSWの給料が安いのか、スタッフが集らない。
男性は事務長とリタイヤした事務屋、後は全員が女性。
実際に年々精神障害者が増えているのか、精神障害者の認定を受け生活補助金を取得する人が増えているのか私の自己判断で言うわけには行かないが、JO’Cではメンバーの数は確実に増えている。
現在の登録メンバーは1000人以上。それを助けるスタッフは不足。
州政府と補助金の交渉をしているが、埒が明かないのが現状。
だが、メンバーは毎日JO’Cにやってくる。さてどうしようと暢気に頭をひねっている暇は無い。
そこで、ボランティアに頼ろうとする。
私が13年ここで続けている間、ボランティアの名前も覚えられず、数え切れない数の人が来た。
だが、早い人で2週間、長くて一月。何故か続かない。結局、未だ私一人のボランティア。
そんな訳で、毎週水曜の1日に+1日を頼まれ、断ればよいのに、受けて手伝いに行く。
十年以上も続けていると、メンバーも、スタッフも仲間意識の中で安心するのか、私がメンバー(精神障害者)と同じ状態と感じるのか。
確かに私自身も違和感は全く無い。

11月14日より18日まで「The 2011 Australia Open Blind Golf Tournament」
これは毎年恒例のイベントの盲人ゴルフ大会。
この為に10月から毎週金曜のブラインドゴルフと共に準備作業が始まり、私も逃げてはいられない状態になり、またまた気忙しい日々が現実になった。
ブラインドサポートのボランティアは平均80歳以上。
種種の方法で募集はしているが、全く新規のボランティアは集らないばかりか、現在いる人も「高齢」「健康」上の問題で辞めて行く人が増え始めた。役員会で「このまま続けば、運営が困難になるのでは?」と問うたところ「そうだよ」の一言。打開、進展の方法の良案が無い。
「平日の朝8.30~1.30まで、盲人のゴルフをサポートするボランティア。それも出来るだけ休まないでもらいたい」と。
ブラインドゴルフのサポーターは常に同じキャディーとプレイヤーである事が重要な条件。目が見えないのだから、名コーチである必要は無いが、プレイヤーの心、気持ちを理解するため、キャディー、プレイヤーは何時も同じ一組でないと勤まらない。
こんな難しく、プレッシャーのある条件では、集るわけはないよ!
結局、現在居るボランティアの負担が増えるだけ。

因みにブラインドゴルフ組織の会長は84歳、事務局長は86歳、私のパートナーMは81歳。私は76歳。「トシお前は若いのだから」と、押し付けられる。
十年前ならまだしも、最近は疲れて早寝、でも辞めるわけには行かない。
このようにボランティアも長く続けて居ると、安っぽいと言われるが、情が湧き、辞めると皆が困る事も分かり、つい、自分を辛くしてしまう。
この2ヶ月間の忙しさは、私自身の安請け合いの結果だと分かってはいるが。
それにプラスすること、邦人コミュニティーの雑用が重なり、これがストレス。
全て我が身自身の問題、愚痴るべき事ではない。

ボランティアをしたいと言う人が大勢居ると聞くが、互いの条件がマッチしない場合が多くある。「私のボランティア」には多くのボランティアの助けが必要だ。
本当に助けて欲しいと叫びたい。
私だって条件に合っている訳ではない。
お互いに条件を合わせあって居る内に、私のボランティアになって来ただけ。
最初から好んで、選んで精神障害者の中に入った訳ではないし自分に合っていると思ったことも無い。
始めたのだから私の出来る事を四区八苦してのボランティア。

盲人のゴルフキャディーが務まると思って始めた訳ではない。
前にも書いたが「盲人の頭の中」を理解なんか出来ない。「赤い色」をどの様に想像するのか?と考える事も最近はしない。
だが、ゴルフボールをどうやって打たせようか、と、Mの心を探る。
私に適したボランティアとも思わない。
だが、四苦八苦してボールを追っかけ、Mと楽しんでいる。
ボランティアとは何かと考えている余裕はないのが私のボランティア。
考えてするのではない。
心でするのがボランティアと分かったような、分からないような、私のボランティア。




ボランティア日記TOPに戻る