私のボランティアNO 103 広瀬寿武
(意味が無くてもいいじゃないか)
暮れから新年にかけ、97歳になる母の具合が思わしくないと、妹からのメールに気の重い正月を送っていた。
「危険かもしれないよ」と言われると、年末年始の祝い事で騒いでもいられなく、落ち着かない日々。
何時かは、と、覚悟をしていたが「脳梗塞で倒れ、腫上がった顔でベッドに横たわっている」写メールは見るのは忍びない。
「医者が会いたい、早い方が良い」との伝言メール。
何とか遣り繰りして新年の7日、日本行きに機上。
遣り繰りには搭乗機の手配(ピークの時期)もあるが、正月5日から始まった、関わっているボランティアのスケジュールの変更が急務。
帰国の日時も分からないので、一ヶ月の予定表をキャンセルと代役の依頼等々、頭を下げ、御願いをした。
母の事で頭が一杯だったので、余り深くは考えなかったが、家に帰り、ふと思った。
「私自身の事で、ボランティア関係者に迷惑を掛ける状況が、何時、或いは急に起きるか分からない私の年齢。これからは余り深く関わらない方が良いのではないか?」
昨年はブラインドゴルフのメンバーとキャディ合わせて5人が亡くなった。
JO’Cでも精神障害者のメンバー4人が他界。
障害者の年齢は46~48歳と若いが急に入院、長くはなく亡くなる。
薬と運動不足、食生活の不順不規則等で、一緒に芝生の上で転がったり、大波に弾け巻かれたメンバーが来なくなる。
寂しく悲しいボランティアの出来事。
97歳の母「もう十分人生を楽しんだから、もういいや」と顔を見るまで、心に安易な思いを映していた。
骨と皮だけの小さな小さく包まれた母の姿。だが、頭を摩り撫でると細く目を開き、骨の手の平は私の腕に刺さるような力を伝える。
それは涙なのか目の雫か、一粒、一滴、意識の無いはずの「母さん」の意志が安易な心を持って来た私を痛く刺した。
「もう回復の見込みはありません、点滴補給の効果も期待できません。このまま自然に息を引き取るまで点滴をしますか?」
裏には、点滴をしてもしなくても大差はなく、意味が無いが、点滴をしなければ死期は時間の問題だとの意味がある。
母の温かみが私の指に、手に、心に十分残っている。
意味は無いかもしれない、馬鹿げているかもしれないが「息のある限り、続けて下さい」主治医から渡された書類に署名をした。
「母さん、これでいいね」時間を忘れベッドの側で頭を撫で続けた。
青森の雪は何年振りかの豪雪。病室から見える山に盛り上がった雪は母には見えない。
外に出て私の手で掴み溶けた雪を母の手に伝えた。
「冷たいか」返事は必要ない。私の感じを母に伝えたかっただけだ。
パースに帰ったら、ボランティアでみんなの手を握って心を感じ合いたい。
唯それだけの、私のボランティア。
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