私のボランティアNO 100 広瀬寿武
(第100号)

100回と言う数字は、それなりに重みがある。
100回も続いていると言う事は十年以上の年月、ボランティアに従事している事になる。
私自身が十分認める通りの「我侭、気侭」な人間が良くぞ続いたものだと、苦笑いが出るような感心事。
たまたま、関わったボランティアが医療関係の範囲だったので、ボランティアと言えども無責任な考え、要するに「我侭気侭」な行動は出来ない仕組みになっている。
「そりゃー苦痛ですよ」
「いやー面倒臭いですよ」
本音は奉仕心と言う建前と大きく掛け離れた、私のボランティア。
「精神障害者」「盲人の世話」「がん患者のドライバー」「老人ホームでの世話」等々、私の本音を無視したボランティアに関わったのを「ばっかみたい」と字に書けば、この表現が一番当て嵌まる。
その反面、これらの事業所だったからこそ、我侭を殺し、気侭を押さえ、十年以上も続けられたのかも知れない。

十年その職場に毎週毎週、顔を出していると、ボランティアと言うより、職員面しても大顔で通る。
何故なら、職員の多くは2〜3年、長くて5〜6年で変わって行くので、私の方が事業所の内容、対応への細部を知っていることが多く、特にJO’Cのような精神障害者が長く通う事業所では、患者は長年顔を見ている私に、親しみや感情を直接ぶつける状況があり、年齢的経験から、いささか狡さも加わって対応出来るので職員も一目置くのだろう。

「盲人をサポート」するボランティアに従事する人の平均年齢は80歳を超える。
当の盲人よりボランティアが先にギブアップをしてしまうケースが最近、増えてきた。
私より長く続けてきたボランティア本人の高齢と共に、彼等の家族にも健康的問題を抱え、人のこと所ではない環境になり、今年になって75歳の私に負担が振り向けられてきた。
平日の日中がボランティア日になる為(私は毎週、金曜日の朝9.30〜2.00)、絶対数不足しているサポーターボランティア。今年になって4~5人が止めた現状を補うのは、一番若い(75歳ですよ)私だと。
2~3人の盲人のキャディを同時にする。
想像してくださいな!
「目明き」の私のゴルフでも飛ぶ玉の行く先は一定しない。目の見えない人がボールを打つ事自体、想像出来ないのが普通。
9ホールゲームのハンディが28~36の盲人を誘導し、方向に向かって立たせ、打たせ、打つ。
キャディは神経消耗と共に重労働。
一人が左、一人は右に、ブッシュに、ラフにとボールの行方に神経を注ぐが、見ている積もりでも行ってみると場所が分らない。やっと見つけて打たす。今度は右に走って行って、探し、打たす。
3人目のO嬢は79歳、左目は義眼、右目は4〜5m先の人の影を追うことが出来るので大助かり。私の黄色いユニホームと赤いシューズを見て着いて来る。
最近の私の出で立ちは彼らの為のニューファッション。
道を歩いたら道化の見世物。
O嬢の主人が存命中は2人でゴルフ場へよく通ったそうだ。とりあえず距離は飛ばないが、何とか見える所にボールが止まる。
3人分のクラブは一つに纏め、ゴルフバッグは一つ。
「やりたくないよ、3人の世話なんか」でも、セクレタリーのL嬢(84歳)、言って悪いが、太く丸い体を屈めて「トシ、今日も3人頼むわ」に「Why not」と貧乏くじを引いてしまう。

第100号、十年を越えるボランティアに従事してきた年月は書き、綴る以上の想像出来ない変化への私の対応。
その私、右手、右肘に痛みが沈み、動かす事が困難な状態。骨の滑車の老朽化。
スキャンの結果、潤滑油を注入。ボランティアとは無関係だが、老朽化した体内部分は、この先の私のボランティアにも影響するだろ。

ボランティアに行く日の前夜、84歳のL嬢、89歳のT会長の顔が浮かんだ。
何も言わず痛さを我慢してのボランティア。
その中の一人が「優勝」しての白ワイン一本とボール2個がキャディの私にも。

第100号と共にボランティアの日々は淡々と過ぎていく


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