「私とボランティア」 NO1 広瀬寿武
「ボランティア」と書くと仰々しく,何か特別な事をしているが如く感じる,
日本の環境と違って,ここオ−ストラリアに於ては,ごく当たり前の日常の
営みの中に有る.日本人的な思考に因る「助け合いの心」を修飾する美辞
麗句は,敢えて必要が無い.
「自分の出来る事を人の為に役立たせる」自然な人間の関係をボランティア
の組織が吸収して,広く社会に役立たせる.
WAでも組織が数百有る団体を管理し,効率的に機能しているため,従事
する人,求める団体,その双方にとって互いの意志が無駄にならない.
西欧文化を基礎にした移民国オ−ストラリアは,ボランティア先進国と言えよう.
日本は?はたして人間先進国と言えるだろうか,
WAのボランティア組織の中で経験しながら,つい比較してしまう.
私はWA Volunteer Associationのメンバ−として二つの団体でボランティア
をしていますが,初めからボランティアに興味が有ったからではない.回りに経験
と時間を有効に使ってボランティアをしている人を見ても,自分に意識の高まりが
無かったと言った方がいい.
私には少年時代,青少年赤十字団で奉仕をしながらジレンマに悩み,県の団長を
辞退した経験がある.戦後の混乱が続く社会情勢の中で,自分にも何かが出来る,
人の役に立ちたいと思って入団し,率先して活動したが心が和まない.
深く関われば関わるほど深層真理が見えて来る.活動の中で年二三回,奉仕と
言う名目で孤児院を訪ねる.門を入った途端にしょん便臭い.やっと体裁を保って
いる古い木造施設は暗く汚い.毟れて穴だらけの八畳間に十数人が詰め込まれ,
継ぎ接ぎだらけの古着は洗濯が行き届かないため,匂いと汚れが染み込んで
変色している.団員が集めた土産を広げると,群がって力の有る者が先に取る.
取り敢えず体面だけを保って孤児達と時間を過ごしたが,後日,団の新聞に
レポ−トを書く時,自分の気持を正直に見つめた.
「嫌だ,孤児院の訪問も,道路,ゴミ箱の清掃も」
当時の役所の清掃事業は予算が無いことも有って貧困そのもの.我々が掃除を
したその後,直ぐに蝿が群がり蛆がわく.
「俺はどうして奉仕なんて言う事をしているのか」気持の中で燻っていた,いや,
早い段階で解かっていたが,はっきりさせたく無かったものが鮮明になる.
「見栄」「虚栄」「人から持て囃される自己満足」「つまらぬ名誉,名声」どれを
取っても 「嘘」で有ることに変わりはない.
私の父は大手水産会社の支社長をしていたので,地域社会では名誉も有り,
裕福な暮らしをしていた.その資力のお陰で不自由の無い生活をしていた私に
とって,奉仕は虚栄心の表現に過ぎなかった.純粋に人のため社会のためと
思ったとしても,その心を支える裏には,それが出来る環境にある自分を主張
する見栄は隠せない.
「嘘」と「虚栄心」.「奉仕に対する賞賛」このジレンマの苦悩から開放された
瞬間,自分らしい青春を取り戻した.少年とは言え虚栄による空しい奉仕は
自分の為にならないばかりか,相手を侮辱する事なる.
「やめて良かった」が正直な実感だった.
この経験からボランティアをするのなら,自分の真意を正確に理解するべきと
考えながらも,地域や子供達の世話などの手伝いをしたり,ライオンズ クラブで
寄付をするくらい.自発的にとなると,それだけ熱意が湧かなかった事も有り,
仕事,家庭の諸事情と重なりボランティアに縁が無かった.
話しは飛ぶが,昨年十二月にインタ−ナショナル ボランティア イヤ−のセレ
モニ−がガバメントハウスで(主催はガバナ−とミニスタ−)催され,私と妻も
招待され出席した.
移民国家を象徴するように,多民族,多国籍のボランティアに関わる多くの人
が集った.日本人が私達だけだったのは少し淋しさを覚えたが,ガバナ−,
ミニスタ−と親しく話が出来て有意義な時を過ごした.それ以上にWA全土から
集まった色々なボランティアをしている人と会えたのは,私達の行為を勇気づけ
てくれた.ボランティアをするには動機はもとより,先ずはタイミング.集まった
大部分はリタイヤした人達.みんなは言う「若い時は動機や気持が有っても
経済的に或いは時間的に制約される.リタイヤした今がグッドタイミング」
知識,経験共に充実した年齢でも有り,ボランティアに参加できるタイミングが
生まれる.
私が今,WAのメンバ−としてボランティアをしているのも,このタイミングによる
のかもしれない.私の八十五歳を過ぎた母が三年前,骨そしょう症で突然入院し,
多くの人の世話になった.退院してからもボランティアの看護婦が母を案じて来て
くれる.動けなくなるかと心配したが,歩行器を使ってはいるが,自分の事は出来
るまで回復した.寝たっきりになる事も覚悟していたくらいだから,家族にとって
こんな有り難い事はない.
動機とタイミングが重なっての私のボランティア.
毎週水曜日,JuneO’Connor Centre.
精神的障害者が病院の外に出て病状の回復に努める助けをする.
一般社会へ出るための自主トレ−ニングに協力する.
障害者の殆どは収入がないので,国からの援助で生活している為,栄養を考えた
食事等を低額で提供する.(例,ラム肉のステ−キ,ジャガイモ,野菜サラダ,
パン他.$1,60 私が時折,カレ−,牛どんを作るが同じ値段)
その他,医者からの指示に基づく治療をする.
主たる仕事の内容は以上だが,病状の程度が全員違うので簡単だと単純に
言えない.約七百人居る登録者が,その日の体調に合わせ来たり来なかったり,
週一回の私にとっては何時も新しいメンバ−と出くわす.
手帳に書いた名前と顔が混乱して間違う度に「トシ,ドクタ−の所へ一緒に行こう」
「OK,連れて行ってくれ」
冗談を交え握手をしたり体を触れ合ったりしながら心が近づく.
一日の構成はソ−シャルワ−カ−二人,ボランティア一人.否応無く彼らの中に
溶け込まなければ何も出来ない.差別していたわけでは無いが,私の知らない
人間社会を見る目は一般の人と同じで,理由の無い疎外感が有った.
だが,それは初日で完全に吹っ飛んでしまった.
元々,知らない社会環境と言うだけで,差別や疎外する理由は何も無い
のだから,全くの私自身の気持の問題だった.
面接の後,渡されたサマリ−を読んで心構えをしていたが,触れ合う内に
そんな事は忘れてしまった,と言うより書いて有る様に人の心は動かない.
先ずは初日の日記を紹介しよう.
0月0日 壮快 晴れ
九時半,出勤?ソ−シャルワカ−のMは三十歳,百kgを越す体重で
のしのし歩く.半ズボンにTシャツ.ショウトカットの頭と四角い顔,微笑み
を絶やさない目に親しみを感じる.
長いエプロンで体を巻,キッチンへ.ソ−シャルワカ−のPと挨拶,東欧の
出身と言う彼女のしゃべり方には女性特有の味が無い.
化粧どころか髪も無造作に絡め,色気のない黒のトレ−ナに着古した
Tシャツ,笑うと目尻に皺が出来る.四十歳内外かな.
仕事内容の指示を受けるが,言葉に色と言うか,抑揚が無い.
ト−ンの高い声で一本調子.小柄なP,これでも女かと思うが気さくな感じ.
六十四歳と言う年の功か,図々しさか,気持が楽になる.
のっそり,もっそり入って来る者,呟きながら,そして愛想の良い笑みを
浮かべる者が一人一人増えてキッチンへ顔を出す.
「Good morning!How are you」Pの方から声を掛け
「ボランティアのトシ」紹介され数人は興味を示すが,殆どは無愛想.
新人に対する本能的な警戒心かもしれない.
モ−ニングティ−のパンを焼き,バタ−,ジャム,ベジマイトをぬり,
回りながら積極的に近づき話しをする.
誰と話すにも苦にならない私のキャラクタ−が受けたのか,
男女問わず反応してくる.
煙草と酒を止めて十年になると言うC,アジアとドイツの戦争史を
話すS,この服が似合うかと得意そうに言うJの化粧は,目の回りが
大きな黒塗り,赤丸で塗り潰された頬,音を立てそうな睫,道化の
様だが愛嬌が有る.坊主頭にぎょろ目のNがプ−ルゲ−ムをやろう
と誘う.ギタ−を弾いて聞かせるとH.今日のランチは何だとL.
名前と特徴をメモる.
三十人近い名前を覚えるのは難しい,
間違えると「トシ,俺はNではない.Lだよ!」「おお,そうだ,ごめんL」
間違える度に仲間に入れて貰える.
ランチの支度をする合間にプ−ルゲ−ムに引っ張られる.全くやった事
が無いので教えを請うと,みんなで賑やかに手を取り教えてくれる.
偶に上手く出来ると自分の事の様に喜ぶ.私が一番嬉しく,台の回りを
スキップするとみんなで手を叩く.
「今度は俺が相手だ」と魚にされる.
一般的にハンディ−が有ると解される中にいて,私自身,違和感を感じない.
それは又共に接する相手にも伝心したのか,優しく迎えてくれた.
純粋な人間性に触れ,心底楽しんだのは私.
ハンディ−を思うなんて馬鹿の骨頂だ!
一緒にランチ,一緒に片付け,一緒に遊ぶ.Hの弾くギタ−は喧しいと
LやN達は言うが,聞かせようとする熱意に拍手を送りたい.
二時が過ぎると帰り始める
「トシ,明日来るのか?」「来週の水曜」「じゃ来週,又会おう」
静かになったセンタ−でMとPと私.「精神的な障害を持つ人に関わる
仕事と言うだけで,ボランティアから敬遠される.
トシ,どうだろう,何回かトライして,出来たら続けてくれないか.
今日一日でみんながトシを信頼した様に思う」
名前すら覚えきれないみんなの顔がまだ鮮明に残っている.
「やります,色々教えてください」「トシなら出来る.私達も助かる」
こうして始まった私のボランティア.妻も協力してくれたお陰で益々
人気が上がりセンタ−で必要視される様になった.
だが初日からどうしても気持の隅にひっかかり,もやっとした雲が
付いて離れない.健常者と障害者の関係には,双方で理解出来
ない部分が厳然として有る.
これはボランティアを受ける者とする者の関係と共通する.
例えば私が身障者,片足が無かったら,利己的な考え方で物事を
判断し,態度を取るのではないかと思う.その上,両足揃った人に
対して説明の付かない嫉妬心を持ったり,同情され,慰めてもらう
のが当然と思うだろう.
その一方,片足が無い事でどうして社会から望まぬ労りを受けるのか,
社会的弱者として扱われるのか,捻くれた考えを正当化するかもしれない.
だが,このどれもが私の仮定の範囲を出ない.私には健康な両足が有り,
片足の経験から生じる思いは,本当のところ解からない.
センタ−に来る人の多くは,後天的な障害者だと聞く.原因や事情は
どうあれ,高度な知識や技能を持ち,或いは芸術的感覚に優れ,日々
平凡に時を費やす人も多い.
一般的に健常者は障害者に対し「施し」「与える」「同情」と言う一方通行
の関係を考える.このセンタ−ではそんな関係で良いのだろうか.
彼らはいったい何を望んでいるのだろうか.
ここでする私のボランティアとは何だろうか.
小難しく考えれば解からない事だらけだ.理想的な解答なんて有るの
だろうか.例え誰かが偉そうに知性をひけらかして,理想論を説いて
くれたとしても私の出来ることは知れている.
無知で良いじゃないか,有るがままの自分で良いじゃないか,ごくごく
さりげない人間と人間の関係,こんな絵柄をセンタ−の技能者や芸術家,
道化師,音楽家達みんながいとも簡単に教えてくれた.
色々な疑問に対する答えは必ずしも明解になった訳ではないが,私の
経験は豊富な宝を貯蔵して,日々,瓶を満たして行く.
瓶の蓋を開けると,私のボランティアが外を覗いて「今日は」と.
次回は「おはよう」と声を掛けましょう.
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