福島先生の人生日々勉強
当たり前のこと
1年の終わりに、「今年は成長できただろうか」「自分に何ができただろうか」と、その年を振り返ることがありますね。
時には、悔やまれることばかりのように思えることもあるでしょう。なかったことにできないと思うほど、落ち込んでいる人もいるかもしれません。
しかし、こうして今日も命があります。本当は、何があろうと、命を頂いているだけで十分に恵まれていて、ありがた...
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何をするか、何をしないか
昔から、「他人の不幸は蜜の味」と言いますが、人間の本質として妬(ねた)みの感情があることは隠し難い事実です。生存競争のため、脳に組み込まれたシステムです。
妬んでいる時に活動する脳の領域は、前頭葉の前部帯状回の上に位置し、体の痛みの処理に関係している部位でもあります。
つまり、「妬みとは心の痛みである」ということです。妬ましい他人に不幸が起き...
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ありがとう
「有り難い」という言葉があります。「有り難い」の語源は、釈迦が阿南という弟子に語った「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬(たと)え」というものにあります。
釈迦は「那由多に広がる大海に、百年に一度だけ海面に顔を出す盲目の亀がいる。この盲亀が海面に顔を出した拍子に、たまたま漂っていた丸太のたまたま空いていた穴に盲亀の頭が入ることはあるか」と問います。
驚いて阿南は...
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布施
今でこそなじみのある「ボランティア」という言葉ですが、昔の日本にはそうした言葉はありませんでした。そこで、日本人は「奉仕」という表現でボランティア精神やそれに基づく活動を言い表していました。しかし、奉仕という言葉には奉公などと並び、国家や社会、目上の者などのために、私心を捨てて力を尽くすという宗教や政治に応じた歴史的な背景がありますので、見返りや保護を期待しなか...
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我慢
日本語には、多くの仏教由来の言葉があり、「我慢」という言葉もその1つです。
「我慢」というと、通常は「耐える」「こらえる」といった忍耐を表す言葉として使われていますが、仏教でいうところの本来の意味はそれとは随分違います。「我」というのは「われ、自分」、「慢」というのは、「驕(おご)り高ぶる」ことです。つまり、本来我慢という言葉は、自己へのとらわれから来る驕り、慢...
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愛語
近頃、私たちは言葉を軽く扱い過ぎているような気がします。かつて、文字や言葉は、人の手で1文字1文字丁寧に語られ紡がれるものでした。しかし今では、文字は機械的な電気信号に置き換えられ、インターネットを通じて世界中を飛び回っています。飽食のごとく、おびただしい数の言葉が次から次へと届けられるが故に、言葉は実体を持たないほどに軽くなってしまったとも言えます。
人のなす...
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世界はつながっている
人には皆、それぞれに生きている限定された現実があります。現実の世界が嫌だと言っても、他人の人生と自分の人生を取り替えることはできませんし、元に戻ってやり直すわけにもいきません。これまで生きてきて、今現在を生き、そしてこれから生きていくであろう人生がただ1つあるのみです。過去から現在を通って未来へと続いているたった1つの人生。それが私たちの人生です...
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平常心
「平常心」という言葉は、何か事に当たる時、興奮したり、浮き足だったりしない落ち着いた心というような意味で使われます。大事な試合や仕事の現場で、過緊張を抑えようと、心の中で呪文のように唱える人もいるかもしれません。
元々、お茶を飲む時はお茶を飲み、ご飯を食べる時はご飯を食べることに集中することが大事であるという、心の持ちようのことを言います。つまり、日常の一挙手...
福島先生の人生日々勉強
悲心
学生時代に合唱部で学び、大好きだった組曲の1つに、湯山昭作曲・中村千栄子作詞、女性合唱のためのファンタジー『越後の恋歌』があります。みずみずしい叙情性と、人や自然への優しさに満ち溢れたすばらしい楽曲の中に、越後に生まれた良寛が登場します。その当時の私にとっての良寛は、この楽曲のまとっている慈愛そのもののような存在でした。良寛については、いろいろな本にも書かれてい...
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唯一無二
日本では古来、「和をもって尊しとなす」という言葉が示すごとく、社会全体の調和を重んじる文化を培ってきました。このような文化の中では、個の意見や主張はどうしても軽視されがちです。「和」という美しい概念の中にありつつも、人間は社会の構成員であると同時におのおのの考えや感性を持った1個の存在です。自らが社会の構成員であることを理解し、そのルールに応じて行動すること...