福島先生の人生日々勉強
自分の居場所
苦しくて自分を見失いそうになることはありませんか。自分のことを嫌ってしまいそうなほどに。生きづらい時期は、子どもにもあります。
特に、自我が芽生え、「何のために生きているのだろう」「自分に生きる意味なんてあるのだろうか」と、自分の存在意義について悩み始めるころです。そういう時期は小学生でも高校生になっても何度でもあり得ます。精神的な成長に加え、その時に自...
福島先生の人生日々勉強
正しく見るということ
視野を広げて物事を正しく見るということはとても大切です。そんなことは誰もがよく分かっていることです。しかしながら、これがなかなか簡単ではありません。人は生活においてほぼ正しく適切な見方をしています。身の回りのあらゆることについて間違っていたら、1日たりとも生きていくことができなくなるからです。
ただ、時として間違った見方が入り込みます。そして、人...
福島先生の人生日々勉強
器
人間は感情に左右される生き物です。今日1日を心穏やかに朗らかに過ごしたいと思っていても、ストレスは多いし、時間も足りない。自分では大きな心でありたいと思っていても、その小ささに情けなくなる時もあるでしょう。だからと言って、その度に怒っていたらどうでしょうか。怒ることは簡単です。一時はそれで済むということもあるかもしれませんが、それで本当に解決するかと言えば、そうで...
福島先生の人生日々勉強
計画は身を助く
何か大きな目標を達成するには、修行のごとく戒律を守り、身を慎み心を調える日々の厳しい鍛錬(たんれん)が必要です。そこで重要になるのは、道を求める心の強さです。生身の人間ですから、辛い修行生活の中でつい怠けてしまうということは必ず出てきます。そこでどう自分を律するかが大切です。怠けたい心とそれを制する心、2つの心の葛藤を幾度となく繰り返し、乗り越えていか...
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鬼手仏心(きしゅぶっしん)
鬼手仏心という言葉があります。誰かを救うために、内心は慈悲に満ちているのに、外見は傷つけているようにしか見えない手段を採る時の有様を言います。
よく言われるのが、外科医の手術です。外科医が手術を行う時、患者の体を切り開く様が、鬼のように残酷に見えます。しかしその心には、患者を救いたいという仏のような慈悲の心があるということです。
この鬼手仏...
福島先生の人生日々勉強
人は自分で強くなる
幼子は、過去を悔んだり、未来を思い煩(わずら)ったりしないので、雑念を持ちません。わがままや執着心も、悩み苦しんだりする原因にはなりません。苦悩とは、大人になるにつれ、自らはまっていく呪縛です。もしも大人でありながら幼子のように純粋に平和と光に満ちた世界に生きている人がいるとしたら、その人は既に心に迷いがなく理想の境地に到達しているのでしょう。私た...
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聴於無声
「聴於無声 視於無形」(声無きに聴き、形無きに視る)。
何事にせよ、全てを見通せる人などこの世にはいないでしょう。思うところが心にあったとして、それを全て口にできる人もいませんね。「私は包み隠さず思っていることを全部人に話してしまう」という人がいたとしても、実際のところ、全てを話せるわけではありません。なぜなら、人というのは、自分のことでさえ知り尽くすことが...
福島先生の人生日々勉強
心を収める
「心は捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。この心を収めるこそ善なり。心を収めるものに安楽あり」(『法句経』より)
「心を収める」――。さらりと書かれていますが、難しいことですよね。人間には感情があります。旗が風にはためくように、現実の生活の中で揺れ動いているのが人の心です。その心を収めることができれば、安楽が訪れるというのです。心を収めれば、...
福島先生の人生日々勉強
深追いしない
人生は苦楽がセット。今はこちら側にいるだけ。そんな風に思える人は、表情まで自然と優しく、生き生きとしていて余裕があります。
生きていると楽しいこともあれば、苦しいこともあります。どちらかと言えば、苦しいことの方が頭に浮かびやすいので、苦しいばかりの人生に思えるかもしれません。しかも、何だか自分ばかりが苦しい思いをしているような気がします。
ですが、これは...
福島先生の人生日々勉強
感応道交
かつてお釈迦様が説法の際に一輪の花を皆に示し、何も言葉を話されなかった時、弟子の1人である摩訶迦葉(まかかしょう)のみが、その心を理解し微笑みを返した、という故事があります。
人と人が互いに心が通じ合う時、言葉は要りません。あちらからこちら、こちらからあちら、自由に心が行き交うことができます。このように、自由に心が通じ合うことを「感応道交(かんのうどうこう)...