出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾:オーストラリアの食の可能性を感じたアデレード訪問
「スキヤキ・ハウス」のコンサルディングが一段落したのを機に、シドニーでのレストラン・オープンに向けての話し合いを進めるため、ビジネス・パートナーのマリー氏の元へ、初めてアデレードを訪れました。
当時、オーストラリアの主流の国内線には、今はなき航空会社のT...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の九:大繁盛の「スキヤキ・ハウス」
1970年代は、日本の商社がオーストラリアにおけるビジネスの全盛期へと向かって、活発な動きを見せていました。ビジネスで訪れる日本人の数も増え、彼らは日本への出張の度に日本からさまざまな食材を持ち帰り、家庭で、また更におもてなしとして日本料理を紹介していました。彼らの踏み跡が...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の八:初の南半球での年末
明けましておめでとうございます。恒例のシドニー花火大会も終わり2018年の開幕です。46年前、私にとって初めて南半球で新年を迎えた1972年も、暑かったのを覚えています。その暑さのせいで、お正月の時期だという実感が薄く、ただカレンダーの日付けだけが変わったような気分でした。人生...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の七:ワイン・ソムリエ、アンドレと過ごした日々
ポッツ・ポイントに少し滞在した後、シェア・メイトを見つけ、エリザベス・ベイの少々おしゃれなフラットに移りました。最初のシェア・メイトになったのは、オランダ人のアンドレという同年代の独身男性。アンドレはフランスでワインのトレーニングを受け、アムステルダムから1972年...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の六:日本食文化発展の礎を作った姉川商店
オーストラリアでの私のスポンサーとなってくれていた、アデレードのビジネスマン・マレーには、後日会うことになり、初日は宿泊先のポッツ・ポイント周辺を散策しました。その日のシドニーは晴天で、青空が広がり、日本の初夏を思わせる心地良い気候ですが、日本の蒸し暑い夏に比べると、ドラ...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の伍:11日間の船旅を終え、ついにシドニー到着
世界の3大美港の1つにもうたわれるシドニー湾。シドニーを訪れる前に、船でサンフランシスコとリオデジャネイロにも訪れたことがありました。リオデジャネイロでは大海に面してビーチが広がり、コルコバードのキリスト像が旅人を迎え入れてくれます。サンフランシスコでは湾の入り口に...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の四:いよいよオーストラリア大陸へと舵を切る
ラバウルを後にして11日間の船旅は最終地に近付き、船は待ちに待ったオーストラリアへと向かいます。なぜか海の荒れも収まり順風の中を船は軽やかに、さっそうと進んでいるように感じました。
夕食のためにダイニングの方に出向くと、ピアノの音が聞こえました。ピアノに目を向けると、...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参:「赤道直下、ラバウルへ」
グアムを後にして船は赤道直下、パプア・ニュー・ギニアのラバウルへと向かいました。途中、穏やかな日は、キッチンから餌となるような魚や肉の切り身をもらい、船から釣り糸を流して釣りを試みましたが、収穫はゼロ。あれだけ海に囲まれていれば、大物がかかるのではないかと安易に期待していたのですが...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐:「グアムのナマコと船上ダンス」
横浜を後にし船は11日間の航海に出ました。最初の寄港先はグアム。グアムにはアメリカ軍の基地が置かれていますが、観光地として発展も遂げています。しかし、当時のグアムは今以上に軍事色が濃く、限りなく続く鉄条網の張られた基地の光景には、独特の雰囲気がありました。
桟橋にはアメリカの...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の壱:「オーストラリアの大地へ」
今月から始まる当シリーズでは、私のオーストラリアでの45年間を振り返りながらその間の日本料理の変遷を併せて紹介していきたいと思います。
1972年、秋深まる11月5日、横浜からシドニー、ピアモントに向かうP&Oの貨客船に乗り込みました。横浜まで送ってきてくれた今は亡き弟...